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殺人ドール




 ああ、この人形、どうにかして早く捨てたいのに。


 だって、あの蒼い目、時折黒い鴉がくわえて持ってっちゃうのよ?


 あの目は本物の目よ。


 いつも、私が新しい目を入れるんだから


(東方蓬莱人形 〜 Dollsin Psuedo Paradise より)




   1/静かな音/咲夜


 太陽はすでに沈んでいた。
 どこまでも暗い夜の色。人工的な光を手に入れたこの館の中を除けば、深夜を過ぎた森の中には明かりのようなものはどこにも見られない。いつもは道しるべとなる月の光さえも、今日は薄暗い雲に覆われている。
 いたずら好きの妖精がたまに輝いてみたりもするけれど、そもそも彼らは陽の光を好む陽気な存在。こんな夜遅くに見かけること自体まれである。
 もっとも、暗闇に惑わされた遭難者がこの館を通りがかったとしても、門を叩く者はまれだろう。
 広大な森の中にぽっかりと存在する洋館に、人の気配はない。巨大な時計塔の周りには無数の蝙蝠が飛び交い、時折何かを捕食するような音が聞こえてくる。ほのかな明かりが窓の中から零れていたとしても、正常な精神であれば関わろうとは思うまい。
 それは例え妖怪でも同じ事だ。いや、妖怪であるならばまた違った理由で近寄っては来ないだろう。
 夜の住民である彼らは知っているのだ、この夜の支配者である吸血鬼たちのことを。
 その主はレミリア・スカーレット。誇り貴き最強の吸血鬼の一人。幼子のように華奢な腕は岩をも砕く力を備え、繊細な体つきからは想像も付かないような流星の如き速さを持っている。あとめんこい。めっちゃめんこい。
 彼女の友人はパチュリー・ノーレッジ。百年以上もの間本の中に籠もり続けてきた彼女は、図書館とでも形容するべき知恵を持つ賢者であり、七属性を操る魔法使いである。ちなみにドS。根はドMだと思うんだけどなぁ。
 そして時と空間を片手で操るスーパーメイド、私こと十六夜咲夜。お嬢様と私は相思相愛の中であり、まだキスもおてても繋いだことないけど、でもでもいつかはきっとお嬢様とイチャイチャな仲になってお嬢様の子供を孕んで幸せな夫婦生活を築いちゃうんだもん。その場合どっちが夫でどっちが妻……なのかな? 私が妻になって、仕事から帰ってきたお嬢様に「おかえりなさい。ごはんにする? お風呂にする それとも、わ・た・し?」って聞いちゃったりして! きゃー! 咲夜ハズカシー! あっ、でもお嬢様にそんなこと言われてみたい気もしちゃうな。仕事で疲れてくたくたになった私にお嬢様が「おかえり、咲夜。疲れてるでしょうから早くお風呂に入ってご飯食べてね。それとも……先にこっちの栄養、補給しちゃう?」なんて聞かれちゃったりして! そしてお嬢様がゆっくりと靴下を脱いで、素肌をさらして、「ほら……早く脚舐めなさい。指の間まで、しっかりと……ね?」だって! うっひゃー! もちろん私にとってそれが何よりの栄養ですとも! 咲夜はそれだけで生きていけます! いや生きてきます! お嬢様のお御足……はぁはぁ……もちろんふくらはぎまで舐めさせていただけるんですよね!? サービスでふとももまでチラッといただけるんですよね!? ああ。咲夜、生まれてきてよかったです……。
「……どうでもいいけど、このまま世界が終ってもいいってぐらいの気持ち悪い満面の笑み、やめてくれないかしら?」
 突如、妄想の中へと介入してきた声に、ぴたりと思考が止まる。
 恐る恐る後ろを振り向くと、そこにはジト目で私の顔を眺めるパチュリー様の姿があった。
「ヤヤ、パチュリーサマ。ナンノゴヨウケンデショウカ?」
「今更取り繕うように敬礼しても遅いわよ」
 どうやらこの魔女は先ほどの失態をなかったことにはしてくれないらしい。
「……心の中でも読みましたか?」
「読まなくても表情に出てたわよ。心を読むなんてサトリの妖怪じゃあるまいし」
 そう言ってパチュリー様は呆れたようにため息をついた。どうも私の行動は全体的にパチュリー様に理解されないらしい。
「やれやれ、最初は物憂げに考え事をしていると思ったら……それより、あなたに用事があって来たんだけど」
「用事、ですか?」
 まだ食事の時間には少し早いし、いったい何の用事で……。
「あなたで実験をしたいんだけど」
「すみませんパチュリー様。私も用事が出来ましたので。それでは」
 逃げ出そうとする私の肩をパチュリー様は即座に掴んだ。
 おのれ、こうなるのを予想していたな……。
「離してください! お嬢様に会わなきゃいけないんです!」
「レミィならまだ寝坊してるから行っても無駄よ」
「なら尚更!」
「寝ている生娘に何をする気だお前」
 両肩でガッチリ掴まれて、ようやく観念する私。
 くそう、新しく届いた本を取りに行くからとかいう理由で切り抜けていればもしかしたら……。
「別に実験といっても大したことするわけじゃないわよ」
 いかにも嫌そうな顔をする私を見て、再びパチュリー様はため息。
「今回はあなたの能力について、確認するだけだから」
「確認……ですか?」
「そう。今まで見当は付けてきたけど、ようやくおおまかなあなたの能力の概要を理解できたの。だから今回は、その理論の実践をするだけよ」
 パチュリー様はいつもより心なし真面目な口調で、そう言葉を紡いだ。
「……そういうことでしたら、大人しくついていきます」
 私自身も、彼女の本意を聞くと抵抗をやめていた。
 それは私の知りたいことでもあったからだ。他でもない、私という存在を知ること。知ることでより自分に対する理解が深まり、よりお嬢様に貢献することができるはずだから。
「魔法使いという人以上の存在になれれば、もっとお嬢様と一緒にいられますものね」
「……そう、ね」
 彼女は、その言葉に僅かに顔をゆがめて。
「決まりね。じゃあ図書館に行くわよ」
 私の意志を確認すると、パチュリー様は私に背を向けて歩き出した。
 黙って私はそれについていった。幼かった頃と比べれば見下ろすようになった彼女の後ろ姿を見つめながら。でも、あとでお嬢様の寝顔をこっそり見に行こうなどと計画立てながら。


 ちなみに、この時私は彼女について述べ忘れたわけではない。

 ただ純粋に、知らなかったのだ。

 この館にもう一匹、最強の吸血鬼がいることを。




   180675/あ/××××


 あー今日はいい気分。最高にいい気分。
 お花に水をやりたい。鳥かごを壊して小鳥を放して上げたい。
 今日は満月かな? 満月だといいな。
 うふふ。
 みんなみんな壊したい。
 ぜんぶぜんぶいらない。
 欲しいのにぜんぜんくれないんだもん。失礼しちゃうよね。わたしが欲しいって言ってるのに。
 あれあれあれ?
 ああゆっくりと騒ぎたい。また暴れてやろうかな。
 でもいたいのはイヤだな。こんなに暗いと気が滅入っちゃうよ。
 うふふ。
 楽しそうに笑ってる子供達の泣き声が聞こえる。
 ケーキもとっくに食べちゃったし。まだかな、次のケーキ。はやくたべたいはやく。
 お姉さまに会いたいな。
 満月が好き。狂っちゃいそうなほどおっきな満月がすき。すきすき大好き。
 そういえば最近何者かがこの館に住み着いているらしい。
 おはよう。
 積み木を壊して遊ぶの。そうするとお姉さまに怒られるから、もう一回遊ぶの。楽しいよね。

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


 さて、今日もいい夜だなぁ。




   2/時間という空間/咲夜


 私達は二人そろって図書館へと移動していた。
 本が日焼けしないように明かりの閉ざされたカビ臭い部屋(といっても大抵の本は魔法でコーティングしてあるのでその必要も無いはずなのだが)。
物が多すぎてこのままでは実験が出来ないので、少しだけ空間を広くした。先程まで本やゴミで密集していた部屋に、新たな空間が生まれる。
「……よく事も無げにそんなこと出来るわよね」
 あっさりと空間を広げた私を見て、パチュリー様はそんなことを漏らした。
「そんなに難しいことなんですか?」
 私がそう尋ねると、首を横に振る。
「少なくとも私には出来ないわ」
 えっ、と思わず口に出してしまった。
「ああ、あくまでもそんなに容易くっていう意味よ? 理論は分かってるから出来なくはないけど、私がやろうとすると大がかりな魔法陣や計算が必要になってくるの」
 パチュリー様に出来ないことがあるというのが驚きだった。
 私にとって物心付いた時から使える空間の能力というのは、自分の手足に等しいものだったからだ。 ワインのコルクを抜くのとあまり相違ないぐらいに。
この館を広くする際も、初めは大規模な空間を維持するのに苦労したが、今となっては眠りながらでも出来るぐらい当たり前のものになっていた。
「……あなたは、もう少し自分の力が特別なものであることを自覚しなさい」
 そう言いながら、彼女は手頃な椅子に座り、こちらに向き直った。
 その瞳は、研究対象を目の前にした、魔術師の目。
「さあ――時を止めて見せなさい」
 無駄話もそこそこに、彼女はその先を促す。
 黙ってその言葉に頷き、私はナイフとリンゴを取り出した。
 勿体ぶるようにリンゴを空に放り、静かに呟く。
「月時計」
《そして時は止まった。》
《空中に放ったままになっているリンゴを手に取り、等分に切っていく。途中でふと思い至り、皮はウサギの形に剥くことにした。》
《綺麗にそろえたリンゴを再び宙に揃えて配置し、丁度パチュリー様の机の上にあったお皿を手に取った。お皿に残っていたクッキーのつまみ食いなどもさせてもらいつつ。》
《そうして私は》時を戻した。
 宙に浮いていたリンゴは重力に従い落下し、お皿の上に着地していく。落ちていくリンゴは計算通りに円を描いて並べられ、中央には余ったリンゴの皮が添えられていった。
「……いかがでしょうか?」
 私はそのリンゴの一欠片にナイフを突き差し、パチュリー様に差し出した。
 パチュリー様はさして面白くもなさそうにナイフを受け取ると、曖昧な表情のままリンゴにかじりついた。
「……まあまあね」
 ふてくされた面持ちでリンゴを頬張る少女の姿は、愛らしくもある。
「このリンゴは今日妖精が集ってた木に成ってたものを切り取った物でして――」
「リンゴの事じゃなくて、あなたの能力の話よ」
 む。つれないお言葉。
「でも、そうね……大体分かったわ」
「もうよろしいのですか?」
「ええ。今回はもともと確認するだけだったから」
「ムチやロウソクなどは必要ないんですか?」
「……いつもそんな物使ってたかしら」
 使ってないけど、いつもそれ以上のことはされてる気が……。
「まあいいわ。それより、結論から言わせてもらうけど」
 パチュリー様はリンゴのすっかり無くなったナイフを私に突きつけて、淡々と説明を始めた。
「あなたの能力は、時計の針を操る能力よ」
 私がお皿を差し出すと、パチュリー様はそのナイフでリンゴを刺し、再び咀嚼し始めた。
「時間という空間を操る能力、って言った方がわかりやすいしら。つまり、あなたの能力は突き詰めると空間を操る力なのよ」
 回りくどく説明するのはパチュリー様の癖だ。
 そう言うときは説明を終えるまでじっと耐えるしかない。そんなことを考えながら、私もリンゴを手にとって食べ始めた。うん、甘くて美味い。
「自分以外の全ての空間を止めて、結果として時間を静止させる。もちろんそんな大規模な魔法なんて使えるわけがないはずなんだけど、あなたはそれを可能にする。……それは何故か?」
 ザクッ。とリンゴにナイフを突き刺す。
「あなたは、自分の世界をこの世界にリンクさせてるのよ」
 少しばかり腹立たしげに次々とリンゴを食べていく。ていうか、私の分が無くなる。
「想像力、とかに近いのかしら? 要するにあなたは何故か自分が思い描いた通りに空間を操って、何故か世界を支配することが出来る。時の操作に特化した形でね」
 はぁ、とため息を付きながら、最後のリンゴを口に頬張る。結局一欠片しか食べられなかった。
「時間なんて空間の中でも最も複雑な次元なのよ? ……馬鹿げた話だけど、あなたのその空間を操る力なんて、時間を操るための辻褄合わせみたいなものだわ」
 パチュリー様はナイフを返した。私はそれを受け取ると、リンゴの果汁を念入りに拭き取ってから空間に戻しておく。
 そうしてふと気がつくと、パチュリー様は言葉を止めて、何かを言い淀んでいた。
 こういう風に彼女が口ごもるのは珍しい。私は珍妙なものを見た気持でパチュリー様の顔を眺めていると、やがて言い辛そうに言葉を紡いだ。
 それは、少し残酷で、思いもしなかった言葉。
「だから――あなたに、魔法使いの才能は無いわ」
「……えっ?」
 ゆっくりと、静かに、冷静に聞き返していた。
 パチュリー様はため息を吐いた。それはいつもの呆れというよりは、悲しみの色が混じる吐息のように思えた。
「魔法という分野で時を止めていたんだったらまだ可能性はあったんだけど、そんなインチキまがいな方法でやられてたんじゃ私の手には負えないわ。魔術師というよりは、ペテン師、奇術師ね」
「――で、でもっ」
 すっ、と私の口元に手を差し出し、言葉を制止する。
「何より、あなたには魔法使いとしての絶対条件が足りてない」
 暗い、二千メートル奥底の深海より暗い瞳で。
「魔法使いというのは、自己中心的な存在でなくてはいけない」
 私と、どこにもない鏡に向けてそう言った。
「……私は、他人のことを思いやれるような人間ではありません」
 しかし、彼女は首を横に振り
「だったら、レミリア・スカーレットと十六夜咲夜。あなたはどっちを取る?」
「それ、は……」
 私は思わず俯いてしまった。
 それは、私にとって考えるまでもない質問で、だからこそ答えることができない質問。
 私のそんな姿を見て、彼女は再び息を吐いた。
「……私がその二択を出されたとしても、きっと自分って答えるわ。私たちは利害関係が一致しているから友達でいられるの。ほんの少しでもそれが狂えば、実験対象にも餌にもなり得る」
 でも、あなた達は違う。と彼女は言った。
 私は、悔しさと安堵と、何者かも分からない勘定で、答えることができなかった。
「……とはいえ、私にもあなたに出来ることはあるわ。人間でも核はあるんだから単純な術式なら出来るだろうし、きちんと結界を張れば今より強力なあなたの世界を作ることは出来るはずだから」
 長い本を読み終えたかのように息を吸うと、パチュリー様は椅子から飛び降りた。
 何も言えないでいる私を尻目に、素知らぬ顔をして出て行こうとする。
「ああ、そうそう」
 そうして扉に手をかけた時、思い出したかのように彼女は言葉を付け足した。
「あなたのその力は、人間の身には過ぎた能力よ。あんまり使いすぎると健康に良くないから、まあ、程々にね」




   180676/たんたん/××××


 今日は雨が降っていないようだ。
 でも外に出る気にはなれなかった。そんな気分でないのだ。
 なんでだろう? どうして私が外に出たいと思った時はいつも雨が降っているんだろう?
 きっと、カミサマがいじわるしてるんだ。
 カミサマ、どうかお願いです。雨を降らせないでください。わたし、外が見たいんです。

 はー、きもちいー。

 うん、カミサマにお祈りするごっこおしまい。
 吸血鬼がカミサマにお願いするなんておかしいもんね。お姉さまに笑われちゃうよ。
 ……でも、最近のお姉さまはおかしい。
 なんだか様子が変だ。それもこれも、きっとあのメイドが来てからに違いない。
 こうしている間にもお姉さまとあいつは仲良くおしゃべりして楽しんでるんだろうなわたしのお姉さまなのにふざけるな殺してやろうかいやでも怒られるでも殺さなきゃ盗られちゃうでもどうするどうやってじっくり残酷にえぐり飛ばしてぎゅってして破壊し尽くしてしまおうかお姉さまお姉さま殺す殺す殺す殺す死にたい死にたくない殺したい殺されたい殺されたくない。

 得られないのなら壊してしまえ。

 私にはその程度の力があるのだから。


 はー、さてさて、寝よ寝よ。
 ごろにゃん!




   3/悪魔の提案/咲夜


「新しくメイドを雇おう」
 開口一番、レミリア様はそう仰った。
 それは図書館での出来事の後、食事中の出来事だった。
 結局日が変わるまで寝坊したお嬢様に合わせて食事を用意し、三人で食事を摂っている時の話。
「……それって、もしかして私はクビということでしょうか?」
 内心、もっそい動揺しつつも私はそう尋ねざるを得なかった。
いったい何が原因で……はっ! もしやお嬢様のネグリジェをクンカクンカしていたのがバレて!? それともお嬢様のたて笛を夜中にこっそりと吹き歩き回っていたのが!?
「ああ、ごめん。別にそういうわけじゃないよ」
 するとお嬢様は私の動揺を悟ってか、苦笑するようにたしなめた。
 ついでに何を思ったのか、淫靡な笑みを浮かべたまま、私の顎を軽やかに持ち上げて。
「それに、私が咲夜をクビにするわけがないだろう……?」
「お嬢様……!」
 独り身のパチュリー様が忌々しげにフォークをテーブルにザクザク突き刺している。ざまあみろ。
「そういうことじゃなくって、つまり、もっと数を揃えたいってわけさ」
 お戯れもそこそこに、レミリア様は話の続きを始めた。ちょっとがっかり。
「この館もだいぶ広くなったんだ。せっかくだからメイドの数をもっと増やそう。こんなに大きな館にメイドが一人というのは、いささか寂しいじゃない」
「……そんなことを今日の朝まで考えてたから、今夜は寝坊したのね」
「うんっ!」
 やれやれと首を振るパチュリー様に、お嬢様の無邪気な返事。
「まあいいけどね。……でもメイドなんてどこから調達してくるの? まさか人里から攫ってくるわけにもいかないでしょうに……」
「まさか。そこまで私も愚かじゃ無いよ」
 お嬢様はそう言うと、とっておきの秘密を打ち明けるように言った。
「うん。だから、妖精を使おうと思うの」
 思いがけぬその言葉に、従者も友人も一瞬固まった。
 妖……精……?
「……妖精なんて、役に立つと思ってるの?」
 まず異議を唱えたのは、パチュリー様だった。
 彼女は今まで以上に怪訝な顔つきをして、お嬢様に詰問する。
「役に立つなんて思ってないよ」
 するとお嬢様は、そんな親友の言葉にも些細な動揺も見せることなく述べ始めた。
「要は見栄えさえ良くなれば良いの。見せかけの数さえ揃えば少しは立派に見えるし、何より妖精ならみんな陽気だから華やかになるわ。顔立ちだって、そんじょそこらの人間よりは良いでしょうし」
 それに、とお嬢様は続けた。
「それに、非常時の戦力にもなる」
 非常時。
 その言葉は、人間の私だからかもしれないが、どこか不穏な企みのようなものが漂っているような気がした。
「個々は大した力も持ってないでしょうけど、まあ、塵も積もれば何とやらだよ。少なくとも強力な妖怪とかが来た時の足止め程度にはなる」
「なるほどね……」
 パチュリー様は一応の納得は見せた。しかし、その時血の表情は先ほどまでとは違い、どことなく影のようなものを感じた。
 ――しかしそれも一瞬の事。すぐに彼女はいつも通りの面倒くさそうな寝ぼけ眼に戻り、苦笑しながらも言葉にした。
「つまり……咲夜をもっと働かせたいってわけね」
「えっ?」
「そう! ねぇ、咲夜。たぶんメイドを雇うとなると今までよりいっぱい仕事が増えると思うけど、咲夜なら出来るよね!?」
「えっ? えっ?」
 ええっと……思わぬ方向に話が進んじゃったけど、現時点で大分オーバーワークというか労働基準法に違反しているというか、最近お給料代わりのお嬢様のぺちぺちも存分に貰ってないからちょっと拗ねてたりもするんですけど、というかメイドを雇うって聞いて「やった私の仕事が減る!」って一瞬でも思ってしまった分そのギャップによる脱力感で今だいぶナーバスになっているわけで……。
 ぐるぐるぐるぐると思考が巡る。その間にもお嬢様はキラキラとした瞳でこちらを見ているわけで……ああっ、駄目ですお嬢様! そんな目で見られたら、私……わたし……ウッ!
「私、咲夜がもっと頑張ってくれたら、もっと好きになっちゃうかも……」
「わかりましたお嬢様、やらせていただきます」
 その言葉を聞くと同時に深々と頭を下げて了承した。頭を下げて顔を見せない理由は、いや、鼻血で。
「ありがと! 咲夜だーいすき!」
 レミリア様はそんな私に気をよくして、があーっと元気よく私の首もと目がけて抱きついてきた。
「ありがたき幸せ」
 冷静にそう言いつつも、顔は緩みきって幸せの絶頂に浸っているであろうことが分かっていた。ああ、でもにやけが止まらない……。
 その様子を蚊帳の外で眺めていたパチュリー様は、冷たい眼差しをこちらに向けて。
「……見事な主従関係よね」
 誰にともなくそう呟いた。




   180677/そと/××××


 じめじめしたちかしつ。
 すこし運動をした。ちかしつは、わたしが暴れてもいいように広くなっているので、すこしぐらいなら壊しても大丈夫。そもそもパチュリーが壊しても元通りになる魔法をかけてくれているから、へっちゃらなのだ。
 でも、今日はすこし暴れ足りない。
 もっともっと壊したい。
 お外に出たい。でも今日はイヤだ。今日はなんだか外にいっぱいいる。
 誰にも会いたくない。
 だって会えば――してしまうから。
 あっ、雨の音だ。
 よかった。これで外に出なくてすむ。
 雨の音を聞いてたら、なんだか楽しくなってきた。
 ああ、やっぱり外に出たい。
 外に出て思いっきり遊びたい。
 ぜんぶぶっ壊してしまえばいいんだ。うん、そうだ。そうしよう。腸切り裂いて喉笛を掻き切ってやればい。
 あっ。



 あー怖かった。なんだか足音がした。
 誰のだろう? お姉さまでもない、パチュリーでもない。あのメイドのものでもない。
 たくさん、たくさん足音がする。
 誰が来てるんだろう?


 壊しちゃっても、いいのかな。




   4/メイド長/咲夜


 その日は雨が降っていた。
 軽やかな音を立てて館の周囲に降り注ぐ雨。雨足は決して強くはないが、絶え間なく一定のリズムで降り続けており止みそうにない。
一週間前から募集をかけていた妖精メイドが集まる日は今日だというのに、あいにくの空模様だ。先程まで晴れていたにも関わらず。
「……太陽の光が好きな妖精たちが集まりますかね?」
 なんとなく気に病んだ私は、傍でロイヤルミルクティーを飲みながら雨音に耳を澄ませているお嬢様に尋ねてみた。
 雨が降っている時は、時折お嬢様はこうしてベランダまで出てきてそれを楽しんでいる。屋根が付いているので水に濡れる心配は無いが、吸血鬼にとって流れる水は弱点となりえるはずなので、従者としては気が置けない時間だ。
「さあ、ね。来るかもしれないし、来ないかもしれない」
 そんな無責任な、と思わずお嬢様の顔を見てしまった。せっかく今日の日のために準備してきたというのに。
 するとお嬢様はそんな私の非難めいた眼差しを悟と、淡々と言葉を続けた。
「そもそも、気まぐれな妖精たちの行動を予測すること自体無茶な話なんだよ。来る時は来るし、来ない時は来ない。それぐらいの気構えでやっていかないと、妖精の相手なんてしてられないさ」
 動揺している私に対して、落ち着き払ったレミリアお嬢様。流石に五百年近く生きてるとなると貫禄が違うのか、それともわりとどうでもいいのか。(実はそのどちらでもなく、雨の原因を知っているから「この程度のことで済むのなら仕方がない」と思っていたらしいのだが、それを私が知るのはもう少し後の話になる)
「というか……なんだ。やっぱり新人メイドに来て欲しいんじゃないか」
「なっ……!」
 なんとなく、見透かされたような気がして、かーっと顔が赤く染まっていくのが自分でも分かった。
「ん? 図星?」
 ニヤニヤと意地が悪そうな眼差しで私の事を見つめる。くっ、正直たまらないけどこのタイミングではイヤ!
「きっ、来て欲しい訳じゃないですけど、せっかく今日の日のために準備したんだから来てくれないと無駄になってしまうと言いますか……」
「そうだよねー。今日の日のために夜な夜な準備してきたんだもんねー」
「うっ……」
 お嬢様、どうしてそれを知って……。
 睡眠は時間を止めて摂っているので睡眠時間を削ったわけではないが、その時を止める時間をちょっと伸ばして作業をしていたのは事実。
 いや、いざメイドを迎え入れるとなると色々することがあるわけで……自分がいつもやっている仕事をどうやって伝えたら妖精にもわかりやすいかとか、メイド服の調達とかも必要だったし……。
 私の動揺する姿を見てくすくすと笑うと、お嬢様は真剣な、しかし優しい瞳で私を見つめた。
「……ねえ、咲夜。前にも言ったと思うけど、今回のメイドの件に関しては、あなたに全部任せるわ」
「……はっ、はい」
 それは、新しくメイドを雇うことに決めた日に言われたことだった。
 曰く。お嬢様は、メイドの人事に関して、十六夜咲夜に一任すると。
「もちろんあなたが困っていたら私達も手を貸すし、至らない点があれば指導もする」
 一つ、呼吸を置いて、お嬢様は言葉を繋げる。
「でも、それだけよ」
 突き放すようで、優しいお言葉。
「あなたに今回学んで欲しいことは、人の上に立つというのはどういうことか、ということよ。どうすれば人はついてきてくれるのか、どうするれば導いてあげられるのか。それを自分で考えなさい」
 それは、きっといつか私のためにもなるし、あなたのためにもなる。
 お嬢様は、真っ直ぐに私を見つめながらそう言った。
「……かしこまりました、お嬢様」
 私はその信頼に応えるべく、身を引き締めてそう答えた。
「……出来の良いメイドを持つと、主人は苦労しないわね」
 どことなく、しみじみとした様子でそう呟くと、お嬢様は元通りの茶目っ気満載の微笑みで。
「……というわけで、今日から食事の時は一人で食べてね」
「はいっ! ……って、ど、どういうことですかお嬢様!?」
「あら、本来メイドと主が同じ机の上で食事を摂るなんてあってはならないことなのよ? 今日からあなたはみんなの規範となるメイド長になるんだから、それぐらいの分別はつけないとね。それに、もともと私達と同じ物が食べられるわけでもないんだし。丁度良いじゃない」
「来るな妖精共! 私のお嬢様との愛の巣から立ち去れ!」
「来るなと言っても来てるわよもう。パチェが玄関に集めているわ」
「え、ええー!? いつの間に……」
「咲夜が初々しく頬を染めてる頃には一通り集まってたかな。まあまあ、一人のご飯が寂しかったらこっそりと私の所に来て食べても良いから」
「お嬢様をおかずにしてもよろしいのですか!?」
「……鍵付けようかな、私の部屋」

   ***

 二階から見下ろしてみると、お嬢様が言った通り、玄関のホールには妖精達が集められていた。
 訪れた妖精の数は十数人。予想してた数より大分大勢が訪れている。
「楽しいことが好きな妖精だからね。たぶんメイドという仕事がどんなものなのかお祭り感覚で来たんじゃないか?」
 お嬢様はこっそり耳打ちをする。
「『つまらない』って思われたら逃げられちゃうだろうから、そこら辺は咲夜の手腕に期待するわ」
「そ、そこまで私の仕事ですか?」
「もちろん。咲夜なら出来るよね?」
 うっ。と答えに詰まった。
 自慢じゃないが、私は自分の仕事が楽しいものだとは一度も思ったことがない。もちろん私個人としてはお嬢様のお役に立つことが何よりの喜びだし、そのための努力も惜しまない。
 しかし、それは私のせいへ……嗜好によるところの方が大きい。実際問題、仕事は地味だし汚れ仕事も多い。それを妖精が楽しんでやってくれるかどうか……。
「ともあれ、死力を尽くして頑張りなさい。そろそろパチェも妖精をまとめるのに泣き出しそうだし」
 お嬢様はそう言いながら、優雅な歩調で階段を降りていった。あっ、人がいるからカリスマっぽく決めてるんだな。と思いながらも、従者らしくキビキビとその後ろを付いていく。
「……遅いわよ、レミィ」
 ぐったりとした様子のパチュリー様。どうやらお菓子を使って妖精達を懐柔していたようだが、手持ちのクッキーも使い果たし、困っていたようだ。
「ごめんごめん、咲夜があんまりにも激しく求めて来ちゃって」
「いやですわお嬢様、パチュリー様の前でそんなはしたない」
 赤く染めた頬に両手を当ててぶんぶんと首を振る私を、彼女は冷めた目で見つめていた。
「……どうでもいいけど、主役が来ないと始められないのよ」
 主役。とは、つまりメイドを束ねる役となる私のことで……。
「はい注目!」
 一気に身体を強張らせてしまった私をよそに、パチュリー様は妖精たちの注目を集めるべく両手を叩いた。
 十数人の妖精たちの視線がこちらに集まる。妖精は、新しく現れた私たちを奇異な目で眺めていた。
 何か言わなくては。そう思った私を、レミリア様は片手で制し、一歩前へと出た。
「私がこの紅魔館の主である、レミリア・スカーレットだ」
 周囲の喧噪が、一瞬にして静まる。
 妖精たちも噂は知っているのだろう。この森に突如現れた館に住む吸血鬼。最強の妖怪の一人。
「もちろん取って食べたりはしないから安心してくれ。これから仲間になるメンバーなんだから」
 ほっとした妖精が何人か。緊張の糸が解けて穏やかな空気になった。
 お嬢様はこつこつと歩き始めた。羽がひょこひょこと動いてるのは機嫌がいい証拠だ。
「共に仲間になるのだから、当然それなりの報酬は与えよう。誰かが襲われれば私たちは守りに行くし、チラシにも書いたように衣食住は用意する」
 チラシ、とは森の中に置いておいた求人広告のことだ。お菓子と一緒に置いておいたらすぐに捌けた辺り、カブトムシと妖精はそう違いない気がする。
「それに、私は約束しよう!」
 お嬢様はそのままの勢いで階段の少し高いところへ上がると、公約を発表するかのように高々と腕を掲げ、堂々と宣言した。
「食後には、メイド長特製おやつを用意しよう! 夜寝る前にはホットココアもだ!!」
 一瞬の静寂。
 そして潮が引いて大きな波が起こるように、突如割れんばかりの大歓声が巻き上がった。
「こ、これがお嬢様のカリスマ……!」
 改めて目の当たりにした私は、あまりの眩さにそっと手をかざした。
 ……でも、お菓子を作るのは私なんですね……。
「そして、彼女がお前達の上司になるメイド長、十六夜咲夜だ!」
 そしてお嬢様は腕を大きく振るい、私を……ってええ!? このタイミングで!? 
「はいっ、え、ええっと、私がご紹介に預かりました、十六夜咲夜でしゅ!」
 突然振られたことでカミカミになりつつ、なんとか威厳あって、フレンドリーに接しようとパニックになりながら……。
「さ、さっきゅんって呼んでね!?」
「「「…………」」」

 十六夜咲夜、人生初すべりである。











   180678/くらい/××××


 あああああああああああああああああああ
 いらいらする。くそったれどもめ。なんだっていうんだ。
 うるさくてねむれねぇ。ちくしょう。ぶっころしてやろうか。
 でられない。でられない。でられない。
でられない。でられない。でられない。
 こわしてもこわしたりない。こわしたい。もっとこわしたい。
 はらだ。はらがへったんだ。くそ。あのあねめ。きょうのめしわすれてやがる。
 ぶっこわしてぇ。ぶっこわしてぇ。ぶっこわしてぇ。ぶっこわしてぇ。ぶっこわしてぇ。ぶっこわしてぇ。ぶっこわしてぇ。ぶっこわしてぇ。
 つらい。つらいんだ。ひとりでいきていくのがつらい。くらいやみがこわい。
 ころしてやるころしてやるころしてやる。
 ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ




 ああ、雨止まないかなぁ。




   5/銀のナイフ/咲夜


 妖精たちを着替えさせ、別の場所――お嬢様に教室としてあてがわれた一室へと移動した。
 パチュリー様はもういない。おそらく図書館に本を読みにでも戻ったのだろう。あるいはひどくぐったりとしていたから今頃眠っているのかも知れない。
 ちなみにお嬢様は後ろの方で椅子に座りながら、ニヤニヤしながら眺めている。意地が悪い。
 妖精たちには新たにメイド服を与えた。全て私が今日の日のために作っていたお手製である(ちなみにそんなことしなくてもこちらで用意してあった、とは後日お嬢様談)。
 妖精たちは普段着慣れない服装にきゃぴきゃぴとはしゃいでいた。
「それでは、ここでの仕事について説明します」
 さっきの汚名を返上すべく、私は瀟洒に説明を始める。
「あなた達にやってもらいたいことは、掃除、洗濯、料理に……」
「メイド長―、質問です!」
 ピッ! と妖精の一人が挙手する。
「ではどうぞ」
 メイド長、という普段聞き慣れない単語に内心酔いしれながらも、毅然とした態度で質問を促す。
「休日って無いんですか?」
 入る前からそんな質問か……。
「休日は基本ありません。それで……」
「咲夜さん! 質問が!」
 別の妖精の子が挙手した。咲夜さんという慣れないさん付けに陶酔しながらも、きちんと対応するべく促した。
「はい、なんでしょうか?」
「お昼寝の時間ってありますか?」
「他の友達も連れてきていいんですか?」
「ゆーきゅーって取れるんですか?」
 一人が質問したのを皮切りに、妖精たちが次々と質問を始めた。
「お昼寝はありません。他の人を連れてくるのは大歓迎です、もちろん入るのも辞めるのも自由ですから。たぶん人間が使ってる言葉を真似してみたかっただけだとは思いますけど、有給は出ません」
 妖精たちの質問に、冷静に答えていく。……ここらへんの事は次の募集要項に書いておこう。
「……説明はこれぐらいにして、実際に仕事を始めた方が早いんじゃない?」
 すると後ろで見守っていたお嬢様が、唐突に口を出した。
「妖精には説明するよりも、実際にやらせた方が早いだろ?」
 なるほど、確かに。
「それじゃあ実際に掃除から始めてみましょうか。それと注意事項ですが、お嬢様の寝室と、つまみ食い禁止のためにキッチン、それから地下室には入らないようにしてください。それでは早速……」
「メイド長―!」
 すると、また質問が。
 またくだらない質問かと身構えていると、最初に質問してきた妖精は、私の予想とは裏腹に。
「地下室には何があるんですか?」
 私の知らないことを尋ねてきた。
 そういえば、私も地下室には行ったことがない。お嬢様に行くなと言われただけで、その実体は見たことがない。「地下室用」にとアレな材料でケーキを作ったことは何度もあるが、行ったことは……。
 気がかりになってお嬢様の方を見た。するとお嬢様は、「ああ」と返事をした後、気だるい表情で。
「前にも言っただろう? 悪魔がいるんだよ。この館のもう一人の、ね」

   ***

 まず初めに簡単なことから、と思って掃除を始めたが、それは思った以上の手間だった。
 まず何より、妖精たちがきちんと働いてくれない。私が少しでも気を抜くとお喋りを始めてしまうし、そもそも妖精たちはあまり掃除というものが得意でないようだ。片づけても片づけても綺麗になりそうな気配がない。
 妖精たちの個性を理解するのも大変だった。鈍くさい娘もいれば、活発な娘もいる。皆様々な能力を持っているから、後々はそれぞれに適する部署に配置したりということもしていかなければならないだろう。
「……どちらにしても、どうやら肝心なところは私がやることになりそうね……」
 はぁ、と密かにため息を吐く。もともと期待していたわけではないが、こうも現実を見せつけられるとげんなりしてしまう。
 ちなみにお嬢様も飽きてしまったのか、どこかへ行ってしまった。今日は早くに起きたので、今頃二度寝しているのかもしれない。
――と、そんな考え事をしていると、一人の妖精がじめっとした面持ちでこちらを見つめていた。
「……メイド長は仕事しないんですか?」
 どうやら、指示ばかりして自分では動かない咲夜が不服らしい。とはいっても実際には高いお皿を割りそうになったりするのを時を止めて防いだりしているのだが、脳天気な妖精たちは気づかない。
「そうです、あなた達の仕事が終わったら始めることにしますわ」
「でも、夜までずっとわたし達仕事じゃないですか。いつ仕事するんですか?」
 妖精たちは私の能力について知らない。
 同じ事を思っている妖精も他に何人かいたようで、皆手を休め一様にこちらを見ている。
(……これは一度能力を見せるしかないか)
 もしかしたら、人間だからと舐められてるのかも知れない。そう考えると少し苛立った。
「あなた達には出来ないかも知れないけど、私には出来るのよ」
 そう言いながら私は、何もない空間からナイフとリンゴを取り出した。
 妖精たちはそれだけでも驚いたようだった。私はツインテールの妖精の傍に寄り、頭の上にリンゴを乗せた。
 少し離れた所に移動する。妖精たちはナイフ投げでもやるのかと思ったらしく、僅かに楽しみと緊張を混ぜた瞳で見つめてきている。
「えっ、め、メイド長! これ、大丈夫です……よね……?」
 私は答えない。
 距離にして十数メートル。狙ったところに確実に当たる、私にとってあまりに簡単な距離。
 どこまでも深く、暗く輝く銀のナイフ。それを軽く握りしめて、私は――投擲した。
 若干の魔力を込めたナイフは弧を描くのではなく真っ直ぐに直線を走り、その軌跡は――真っ直ぐと彼女の心臓を目がけていた。
「う、うえぇぇぇぇ!」
 妖精は驚いたものの、その動揺故に動くのが一瞬遅れた。まさか外すわけがない。その油断が命取りとなった。
 空気を切り裂き進むナイフは、とうとう彼女の衣服まで到達し、そして……。
「月時計」
《メイドは瀟洒に時を止めた。》
《皆が驚愕している時間の中を、私は悠々と闊歩していった。そうして妖精の目の前まで辿り着くと、ナイフを手に取り、頭の上に乗せていたリンゴをシャリシャリと切り分ける。》
《切り分けたリンゴを頭の上に戻し、元の位置に戻っていく。そして》時を戻した。
 静寂が広がる。
 惨劇が起こるかと思われた舞台は、しかし血が流れることも誰かが傷つくこともなく、ただリンゴの皮だけが綺麗に剥かれていた。
「……食べても良いわよ、それ」
 すると突如、割れんばかりの拍手が廊下に鳴り響いた。
「す、すごいですメイド長」
「どうやってやったんですか!?」
「格好良かったです!」
 周りの妖精たちは、一斉にキラキラとした羨望の眼差しでこちらを見ていた。
 唯一、リンゴを頭の上に乗せていた妖精だけが腰を抜かしてその場にへたり込んでいたが、縦ロールの娘が傍に寄ってきてその口にリンゴをくわえさせていた。
「わたしにもできるようになりますか!?」
 無邪気だなぁ、と思いつつも。
「ええ。メイドを極めれば、きっと出来るようになるわよ」
 わぁ、と彼女の顔が色めき立つ。
 当然そんなもの嘘に決まっていたが、妖精はその言葉を信じたようだ。
「わたし、がんばります! メイド長、次は何をやればいいでしょうか?」
「リンゴの皮片づけておきますね!」
「肩をお揉みいたしましょうか!?」
 効果は絶大で、急に妖精たちはやる気を見せ始めてしまった。
 私も最初はとまどったものの、やがて表情を朗らかなものへと変わっていった。
「そうね。それじゃあ、徹底的に教えるわよ」
「「「はい!」」」
 まるで手品ね、と自嘲した。タネを見せず結果だけを観客に見せて、尊敬を集める。
 本当なら、手品師なんかではなく、魔法使いになりたい。そう思いながらも、結局はこれが自分にはお似合いなのかもしれない。と自分を慰めた。
 それに、初めてだったから。こんなに真っ直ぐに、自分を誉めてくれたのは。
妖精たちが能力そのものでなく、十六夜咲夜を認めてくれているのだと、実感できたから。
 率直に言ってしまえば、嬉しかったから。だから、あまり落ち込まなかった。
 彼女たちに対する口調が変わったのに、自分でも気付かないまま。

 そうして咲夜は、気を新たにして妖精たちに仕事を教え始める。

 この騒ぎに乗じて、脱走した妖精三人組など知らずに。




   行間


「やれやれ、どうやら気付かれなかったみたいね」
 一人、冷静な様子の妖精は言った。
「まあ私達の能力なら気付かれることはないでしょうけど……あのメイド長の能力があったからねぇ」
 もう一人、どこかのほほんとした気配の妖精が言った。
「もう、びっくりしたわよ! 本当に心臓止まるかと思ったんだから!」
 更に一人、二人とは対照的に元気な妖精が叫んだ。
「ちょっと、静かにしてよ。いくらルナの能力があるからって吸血鬼とかに悟られない保証はないんだから」
「スターの言う通りよ。私の能力で音を消すことは出来るけど、空気の振動を止めることは出来ないんだから」
 縦ロールの少女は言葉を続ける。
「この館には聡明な魔法使いもいるって話だから、気を付けないとね」
「あの紫もやし? そんなに強そうには見えなかったけど……」
 ツインテールの少女は首を傾げ、その姿を思い浮かべていた。
「あら、気付かなかったの? あの魔法使い、私達のこと密かに警戒してたわよ?」
 と、一人だけ目立たないようにしてた長い黒髪の少女が言った。
「げっ、本当に?」
「本当よ。大人しくしてたから帰ったみたいだけど……バレたらまず勝ち目はないわ」
 彼女たちは、いつも三人一緒に行動する妖精。
 日の妖精、サニーミルク。
 月の妖精、ルナチャイルド。
 星の妖精、スターサファイア。
 個々の力では不完全だが、それぞれの『光を屈折させる程度の能力』『音を消す程度の能力』『動く者の気配を探る程度の能力』が合わされば、強力な力を発揮する。主にイタズラ方面で。
「うう、怖いわね……」
「そんなわけだから、早いところお宝探しに行くわよ」
 この三人が今回紅魔館にメイドとして潜り込んだのは、単に『お宝』を探しに行くためだ。
 吸血鬼が住む館なら、何かすっごい財宝があるかもしれない。
 そんな他愛もないイタズラ感覚で、少女たちはこの館に忍び込んだのだ。
「でも、お宝ってどこにあるのかしら?」
「そんなの決まってるわ、地下室よ!」
 サニーは自信満々に言い放つ。
「立ち入っちゃいけないってことは、私たちが触れてはいけない物があるってことでしょ? 悪魔っていうのも、きっと私たちを驚かせるための方便よ!」
「うーん、そうかしら……」
 スターは首を傾げ。
「……でも、本当に悪魔がいたら?」
 ルナは恐る恐るそう尋ねた。
「その時は逃げればいいだけの話じゃない。もし何も無かった場合も同じく。ほら、早く行きましょ?」
 不安がる二人をよそに、サニーだけは元気よく歩き始めていた。
「うーん、まあそうよね。逃げればいいだけの話なんだし」
「……で、地下室ってどこにあるの?」
 ぴたりとサニーの脚が止まる。
「……どこかな?」
 はぁー、と二人してため息。
「……まったく。私が大体の位置を探っておくから、ついてきなさい」
 スターの言葉に、サニーとルナは「はーい」と可愛らしく返事をする。


 うーん、人が居ない辺りとなると、こっちかしら?

 こっち行き止まりだよ?

 あれ、おっかしいなぁ……。

 ……あ、こっちに階段あるわよ。

 えっ……本当だ! 地下に続いてるみたいだよ!

 まあ降りてみましょ。

 ……なんだか暗いなぁ。

 寒いし、なんだか不気味……。

 ……扉があるわね、開けてみましょうか。

 お宝!? お宝!?

 ……っ! ちょっと待って、開けちゃ駄目! 扉の向こうに何か……。

 え……あっ!





   180679//××××


  暗いなぁ。

 誰か、いる。



   騒がしいな。

                 くすくす。



 お姉さまが持ってきてくれたのかな。


 かくれんぼだよ




 うふふ。



 あはは。


             ひゃははは。




 食べちゃおうか。




   6/殺人ドール/咲夜


 妖精たちは皆さきほどまでとは見違えるように働き始めていた。
 とはいっても至らない部分も多いのだが、何よりやる気が違って見えた。たぶんさっきの私の嘘を信じてくれたからだろう。そのことが心苦しくもありまた嬉しくもあった。
「そういえばメイド長、さっきのナイフってどこから取り出したんですか?」
 ふと、不意に妖精の一人がそんなことを尋ねた。
 こちらとしても隠す理由もないので、素直に説明することにする。
「空間、っていうものがあってね。その一つをいつも持ち歩いてるの」
 そう言いながら、私は宙に手をかざし、世界を繋げる。
 要するにそれは、二二世紀ロボットのスペアポケットよろしく、持たずに運べるアタッシュケース。
私が自分の中で構築した空間に物を入れることで、無尽蔵に武器を持ち運ぶことが出来る。
その言葉通りに、私は空間の中からいくつものナイフを取り出し、お手玉を始めてみる。掃除に没頭していた妖精たちも手を止めて、曲芸を見る子供のような面持ちで見ていた。……はあはあ、注目されるってこうふ……気持ちい……いや、うん、悪くないな。うん。
「メイド長って、ナイフ好きなんですね〜」
 妖精の一人が、どこかほわわんとした面持ちでそんなことを漏らした。
 私は、その答えについて、少し躊躇った後。
「そうね……私にとって、ナイフは自分そのものだから」
 宙に浮かんでいたナイフを空間にしまい、そのうち一本を手にとって光の反射を楽しむ。
「近接攻撃なら剣や槍には攻撃力で劣る。遠くの相手なら銃の方が確実にしとめられる。……でも私はナイフが好き。何一つ満足に出来ないナイフを見てると、胸の奥が熱くなるの」
 それはきっと、自分に似てるから。
 自嘲しながらも妖精たちの方へと向き直り、尋ねてみる。
「……分かるかしら?」
 すると妖精は、純真無垢な表情で。
「わかりません」
「理解しかねます」
「特殊性癖はロリコンだけにしてください」
「……」
 そ、そこまではっきり言わなくても……あとロリコンって言った奴、あとでシバく。
「め、メイド長メイド長〜!」
 いかに陰湿にバレないように調教しようか考えていると、慌てた様子の妖精が駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
「さ、サニーちゃん達がどっか行っちゃったんです!」
 サニーちゃん、という聞き覚えのない言葉に疑問符を浮かべていると、他の妖精が助け船を出してくれた。
「あのツーサイドアップの女の子ですよ」
「ああ、あの目立ってた……あの時漏らしちゃってトイレにでも行ったんじゃないの?」
 適当なことを言ってみたが、どうやらそんな感じでもないらしい。
「サニーちゃん達いたずら好きだから……」
「ここに来る前にもそんなこと言ってたよね」
「ルナちゃんなんであんなに可愛いんだろ」
 妖精たちの雑談(一部関係ないこと)に耳を傾けていると、一つ聞き捨てならない単語が浮かんできた。
「もしかして、地下室に行ったんじゃ……」
 地下室。
 悪魔が住むという、紅魔館の地下室。
「――それ、本当?」
「い、いえ。確証はないですけど、あの三人なら行っちゃいけないって所に一番行きそうな気が……」
 私は出来るだけ早く思考を巡らせた。
 地下室という場所に何があるのか、というのを私は全く知らない。
 私にとってお嬢様の言葉は絶対で、お嬢様が「行ってはいけない」というのだったらその言葉が世界の全てだったからだ。
 だが、大体の見当は付く。
 つまり、そこにあるのは本当の死の危険。
 冷蔵庫の死体など生やさしいぐらいのオカルト。
 今まで地下室に忍び込んだことがなかったのは、お嬢様の言いつけを破ることと同じぐらい、その悪魔が怖かったからだ。
 私は、自分の能力が絶対でないことを知っている。お嬢様には到底適わないし、パチュリー様に勝てるとも思えない。お嬢様も私の力を見越した上で「行くな」と言いつけているのだろう。
 だけど――
『共に仲間になるのだから、当然それなりの報酬は与えよう。誰かが襲われれば私たちは守りに行く』
 お嬢様は、そう言ったのだ。
 正直、絶対に行きたくない場所の一つである。でも、行かなくては。私も、その「私たち」の中に含まれているはずなのだから。
「私はこれからその三人を探しに行きます。みんなは掃除を続けているように」
「は、はい!」
 戸惑いつつも返事をする妖精たちを後目に、私は駆け出していた。
 紅魔館に潜む、もう一つの悪魔目指して。

   ***

 地下室の場所は把握していた。
 関わらないためには知るというのは重要なことだし、自分自身うかつに近寄らないようにするための防護策でもある。
 地下室への階段の前に辿り着いた時には、微かに風の流れる気配がした。
(扉が開いている……?)
 思わず喉を鳴らす。未知ではない。既知でもない。邪悪にも似た空気の淀み。
 それは漂ってくる臭いのせいもあるのかもしれない。その風が孕んでいるのは何年もかけて熟成させた蛋白質のような、腐った香り。吐き気を催すほどのその腐臭を、しかし堪え忍んでいく。
 慎重かつ大胆に歩みを進めた。一歩進むごとに光は閉ざされていく。まるで生き物の胃袋の中を歩いていくような錯覚を起こした。
 深部まで辿り着くと、やはり扉は開けられていた。
そしてその視線の先に、例の三人組はいない。
 代わりに、悪魔が一匹。
 金色の髪を二つに結った、可愛らしい少女。
 緋い瞳を真っ暗な部屋で、燦々と輝かせる少女。
 頬を血で赤く染めた、西洋人形。

 ぞくり、とした。

 まるでそれは、死神に魅入られたようで。
「あなた、だぁれ?」
 戦場で流れる黒鍵のように、美しい声色。
 まるで自分がこの世界のどこでも受け入れられると信じているかのような、そんな優しさ。
 初対面の少女に、これほどまでの愛情と憎悪を抱くのは、これが初めてだった。
「十六夜咲夜……メイド長ですわ」
 枯れた喉を震わせ簡潔に自己紹介を済ませると、少女は、ああ、とつまらなさそうな音を出した。
「あなたが例のメイドね」
 ぴくり、と眉が動く。
 目の前の少女は、私が何者かというのを知っている。それがハンディキャップになるかどうかというのは、まだ判断しかねる。
「……ここに、妖精が迷い込んでこなかったかしら」
 感情を表に出さずに、私は少女に尋ねた。
 突然、彼女の表情が変わる。
「あの三人のこと?」
 一瞬だったが、劇的な変化。
 愉悦と醜悪の混ざった、楽しげな微笑み。
「扉を開けてくれたと思ったら逃げ出しちゃうから……さあて、何処へ行ったのやら」
 ぺろり、と唇に付着した血を舐め取った。
 ここにいてはいけない。頭の中で警告が鳴り響く。ここにいたらしんでしまう。
 だが逃げるわけにはいかなかった。逃げるって何処へ? 無様にお嬢様に助けを求めに?
 出来るわけがない。
 十六夜咲夜がお嬢様の隣に在り続ける方法は只一つ――ひたすら前に進み続けること。

 かちり。と頭の中の歯車が絡みつく。

 そんな私の顔つきの変化を見て、目の前の少女も笑みを変える。
 それは、楽しむべき玩具を見つけたような微笑みで。
「ねぇ――あなたは、食べたらおいしいの?」
 その時点で、少女は不可避の悪魔へと意味を変えた。
 少女を、障害としてではなく敵として分析する。
 おそらく、純粋な力で考えていけば、お嬢様以上の驚異。
「ええ、もちろん。瀟洒なメイドは美味と相場が決まっていますわ」
 人間の私では当然及ぶべくもなく、ナイフを片手に戦えば一瞬で片が付くのは確実。
「ただし、当然といえばこれも当然――」

 ならば私に残された手段は只一つ。

「美味な食材は、総じて食べにくいものですわ」

《時を止めた先制攻撃による一瞬の殺害》

《自分だけの世界で宙を駆ける。狙うは喉笛。美しい音色を奏でる楽器を破壊すべくナイフを握る》
《脚を運ぶより早く、時計の針さえも越えて、腕を振るった会心の一撃は、しかし。》
「あははははははははははははははは!」
 秒針ごと破壊されて失敗に終わった。
(時を――ぶっ壊された!?)
 手元から時が溢れ出す感覚を覚えながらも、しかしそのまま、ナイフを振るう。
 それには驚いたのか彼女は驚嘆の眼差しを浮かべた――が、少女は反撃よりも素早く撤退に転じて、人間を遙かに上回る爆発的脚力で後退した。
 千載一遇のチャンスを逃した代償は大きい。しかし、壊れそうになる思考回路を修復し、現状を把握する。
 これまで戦ってきて、時を止める術を解かれたという経験ならある。しかし、今回の破壊されたという感覚は初めてだった。
 つまり、それが目の前の少女との実力差を表しているということだ。
 だが動じない。動じるわけにはいかない。
「……ふーん、なかなか面白い力持ってるね」
 少女も心の底から可笑しそうな愉悦を浮かべ、独白のように語りかけた。
 それは、絶対強者の持つ余裕――そこを突くしかない、と考えた。
 もう先程のような奇襲は通じない。しかし奇襲を捨てたことで、生き長らえる手段は出来た。
 破壊されたとしても時を止めることで、回避はできる。ある程度ならまだ。
「……うんっ、いいよ。私も誰かと運動するのは久しぶりだから――」

 遊んであげる。

 暴風が迫り来る。
《反射的に時を止めていた。遙かに離れていた場所から一瞬にして目の前まで来ていた》
《刺し殺そうとしたら回避が間に合わない。瞬時に判断し、全力で横に跳び――》紙一重の所でかわしたが、その反動と風の衝撃で吹き飛ばされた。
 なんとか立ち上がり少女を見据える。次の瞬間には、既に少女は第二撃を備えていた。
《先程の光景の繰り返し。》
《一つ違ったのは――》時を戻した時、少し怪我をした事。
 爪の切っ先が足に軽く触れた。それだけで太股からは夥しい量の血が溢れ出し、ざっくりと割れた肉の断面が見て取れた。
 しかし、この程度であれば数秒もすれば動くのに支障の無い程度には回復できる。
 しかし、悪魔はその数秒を待ってはくれない。
 第三撃。脆弱な生き物の息の根を刈るべく脚を曲げた。
(冗談じゃない!)
 即座に阻止すべく、空間から銃を取り出す。自動拳銃。外の世界の兵器を、躊躇わず脳天を目掛けて撃ちっ放す。
 少女の動きは止まっていた。それは恐怖と言うよりは物珍しい物を見た時の感動だった。
 そして動作停止の直後、少女の頭に弾丸が炸裂する。
 魔力で制御したとはいえ、指先に若干の痺れが残った。本来年端もいかない少女に御しきれる代物ではない。
 だがそれだけの武器を命中させたにもかかわらず、緊張は解けない。
 むしろ加速する。
 少女は何事もなかったかのように立ち上がったのだから。
 皮膚が少し裂けたようで、額からは僅かに血が零れていた。でもそれだけ。垂れてくる血液をぺろりと舐めると、心底面白そうに笑っていた。
(人間相手なら頭蓋骨ごと破裂するほどの代物なのに)
 歯ぎしりをする。悔しさではなく、目の前の敵の強大さに対して。
「ふーん、そういう戦いがお好み?」
 少女は笑い飽きると、冷たい目で私の方を見た。
 既に、さっきまで笑っていたのは忘れているかのような――虫けらを見るような、暗い瞳。
「だったら、合わせてあげる!」
 そう言って少女は、手の平から光源を生み出す。
 それは、純粋な身体能力から作り出した、紅蓮の炎。
 遠く離れた距離からでも伝わる灼熱の熱気を、そのまま少女は――ぶん投げた。
《時を止める。既に脚の怪我はある程度回復していたので動けるが、これは先程までの回避とは違う。当たらないための移動ではなく、どれだけ食らわずに逃げられるかという移動。》
《炎は、一面に放たれていた。それを食らわずに移動するのは不可能。なら、せいぜい死なないためにはどこまで行けばいいのかという話だ。》
《炎の密度が少ない場所まで移動する。そして時が動き出すと》同時に、自分の肉が焼け焦げる音と香りがした。
「ぐうぅ!」
 痛みに悲鳴をあげてしまう。それを聞いて、陽炎の向こうにいる少女は愉快な笑い声をあげていた。
「ほらぁ、まだまだいくよ!」
 再び、閃光する。
 空間の中から貯蔵用の水をぶちまける。しかし炎は消滅しきらない。それほどまでに悪魔の炎は強力なのか。
 それでも身体を引きずりながら逃げ切ると、少女は追撃の手を止めた。
 そのまま死に体の私に近づいてくる。狂喜に酔った瞳は、私を脅威と感じてはいない。
「へぇ、そんなこともできるんだ」
 刹那の油断。
《私は時を止めて、空間から取り出した曲刀を少女に投げつけた。》
《その刃は少女に向けて侵略し、空気を切り裂き、腑を串し刺した。》
《しかし、それでも――》時は、私の物にはならない。
 少女は、自分の腹に突き刺さった曲刀を見て――こともあろうか、笑っていた。
 私は少女がぼうっと余韻に浸っている間に、距離を取る。
「これ、知ってる。剣っていうんだよね?」
 少女は自分の腹に突き刺さっている物を指指し、無邪気に尋ねた。
 そして、ずるずると――血がそのまま噴出するのも躊躇わず、引き抜いていく。
 グロテスクな光景だった。しかし、そんなこと微塵も感じさせないほどに、少女は笑顔だった。
 全て引き抜いた後、少女は零れる自らの血液になど目もくれず、うっとりとその刀身を眺めている。
 どろり。と曲刀が熔けた。
 そして、再び恐怖した。
 彼女が手に持っていた場所に――新たに、炎の剣が誕生したからだ。
 それは曲刀とは違う、馬鹿でかい西洋剣。
「なんて名付けよう――そうだ、これに相応しい名前――」
 狂気は形となって、人間を襲う。

「魔剣(レーヴァテイン)」

 私は背を向けて全力で駆け出した。
 時を止めることさえ忘れて、ただ目の前の脅威から逃れようとするように。

 そうして、少女は、一振り。
 殲滅の魔剣を地下室で振りかざした。

 爆発、と共に館が揺らいだ。硝煙と灼熱と爆風、破壊の暴虐は周囲一帯に広がっていき――しかし、咲夜はそれから逃れた。
 全力で逃げたのが功を奏したのか、それとも少女が目標を見誤ったのか。いずれにせよ、生き長らえることができた。
 だが、状況は最悪。
 人間は道具を使う。それは、強大な人外から身を守るための唯一の術。一矢報いるための人の牙。
 なら、それを人外が使ったら?
 強大な敵が、更に強大な力を手に入れたら?
 その答えが目の前の光景だった。
 破壊などという言葉があまりにも生温く感じられる、絶望。
「あー、外しちゃったかー」
 それほどまでの光景を作り出した本人は――ちょっとしたイタズラに失敗したかの程度に、残念そうな吐息を漏らすだけ。
「やっぱり、手の方が確実か」
 最早、見ることすら恐ろしい少女の姿を覗く。
 彼女は、どこまでも楽しそうに。どこまでも嬉しそうに。鮮血を望んでいた。

 ああ、これが悪魔か。

 ぼんやりと、動かなくなりそうな頭で、そんなことを考えた。
「じゃ、追いかけっこね」
 少女は、無邪気に四つ足に構えて、遊びの始まりを告げた。
 それは、死に至る、たのしいたのしいお遊び。
「よーい……どんっ!」
 狂狂と笑いながら、追いかけてくる。

 もう、私に時を止めるなんて術は思い浮かばず。
 手に持っていたナイフを駄々っ子のように投げつけて、逃げるだけ。
 怖いものに背を向けて。

 ただの人間みたいに逃げていく。

 もう、悪魔の貌は見えない。


 やがて悲鳴が上がる。

 それは、子供のような、可愛らしい悲鳴。

「きゃああああああ!」

 咲夜は、それが自分の声でないことを確かめる。
 自分の頭がまだ動いていることを確認し、心臓が止まっていないことを確認し、身体の何処にも穴が空いてないことを確認する。
 そして、一度は逃げた道を振り向く。
 そこでうずくまるのは、あの悪魔。

 何が起こったのか?

――ぐるぐる思考を巡らせる。

 少女は、肩を押さえていた。

――空回りする歯車は。

 その肩に突き刺さっていたのは、先程投擲した、銀のナイフ。

――かちり。かちり。と音を立て始める。

 私は、彼女が吸血鬼であることを知った。そして、吸血鬼の弱点を思い出した。
 それは、ただの、一本の銀のナイフ。
 ああ、と私は思わず感動した。
 誰が裏切ろうと、誰に裏切られようと、私の世界は裏切らない。

――ナイフ集めは、ただの趣味だった。

「空間展開」

 所持する限り全てのナイフを、地下室に広げる。
 その数七十二本。内、必殺をもたらす銀のナイフは――二十四本。
 私は、この状況を打破する手段が、自分が好んで収集していたナイフであることに喜びを感じていた。そして、この事を何という言葉で表せば良いのかも、私は知っていた。

 運命、と。

 その手に持てる限りのナイフを指に挟み、残りは空間にしまい込む。
 そして目の前の敵を、真っ直ぐに見据えた。
 さっきまで可笑しそうに笑っていた悪魔は、しかし今は痛みと怒りで忌々しげな表情に変わっていた。
 それとは対照的に、自分が笑顔になっていることに、私は気付いていた。
「さっきより良い表情になったではありませんか、吸血鬼」

 ああ、今――最っ高に気持ちいい!

「もっとその貌ぶち壊してあげるから、メイド長渾身の手品――《じっくりとご覧遊ばせ。》」


 先程の、少女の肩にナイフが突き刺さったことには、二つの意味がある。
 一つは、私の武器が何であるかを再確認したこと。
 もう一つは、少女に私が少女を殺す武器を持っていることを思い知らせたこと。
 少女は、私が少女を傷つけることは出来ても、殺すことは出来ないと思っていた。事実、私自身さえも先刻まで攻めあぐねていたのだから。

 でも、それも先程までの話。
 今の私は、必殺の刃を持っている。

 当然少女は今までとは攻め方を変えなくてはならない。多少食らっても殺す方法から、一撃も食らわず殺す方法に。
《だから私は攻められる。》
《数本のナイフを少女目掛けて投擲する。貴重な銀のナイフでは無いステンレス製ナイフ。少女は自分が持ってるナイフが全て銀製だと勘違いしているはずだから、気付かないだろう》
《だからこそ使う。事実、時が動き出した時、少女は――》ぎょっとした。突進の方向を変え、避けようとする――その先に仕掛けたナイフがあるとも気付かずに。
「ぎゃ……!」
 少女の背中を銀のナイフが二本突き刺さる。これで残り二十二本。まだまだ倒せない。
 痛みに仰け反ると、《私は追撃する。銀製のナイフを一本に、他の種類のナイフを数本。》
《それは見事に腕に突き刺さり、》悲鳴と共にこちらを視線で射抜く。そして気付いただろう。そのナイフから、一つを除いて痛みが沸き上がらないことに。

 さあ、惑え。
 メイド長の奇術に。

 少女が理解しきれてないうちに《再びナイフを投擲する。今度は全部普通の刃物である。》
 目の前に現れた無数のナイフに、避けることも叶わず両腕で防ぐ――が、それは突き刺さった所で何のダメージもない。

 もっと。もっと、もっと。

 狂え、惑え、従え。

 ここは私の一人舞台――すべて手の平で行われる人形劇。

 勘違いした少女は、怒るように微笑み、真っ直ぐに突っ込んできた。
 私は冷静に《時を止めて、ナイフを投擲する。》
《今度は銀のナイフを選ぶ。指に四本のナイフを挟み、全て投擲。》
《時が破壊されると》同時に目の前に広がるナイフの壁。もうそんなもの関係ないとばかりに少女は無視し、可笑しげな笑みを浮かべたまま咲夜に突進し――結果、自滅する。
「うがあああああああ!!!」
 顔に、肩に、手の平に突き刺さった銀の痛みにのたうち回る。
 悪魔が苦しむその姿――正直、滑稽でたまらない。
 少女は恐怖に滾った瞳で、手の平に炎を作り出し、再び魔剣をその手に携える。

 破壊。ただそれだけの為に誕生した、最強の魔剣は――しかし、もう脅威には感じられない。
 少女は腕を大きく振りかざす。
 私は、それに対し《銀のナイフを投げるだけ。》

 それは、大剣を振れば一瞬で消し飛ばせるはずの、只のナイフ。

――全ては、奇術師のタネあり手品。

 しかし少女はあまりに過敏に恐れてしまい。

 全ては、その奇術師の、手の平の上――

 もう、恐怖に魅入られた悪魔は動けない。

 そのまま、ナイフが手の甲を串し刺して。


 魔剣はその重みに耐えきれずに、爆発した。


 悪魔は遂に地に堕ちた。
 太陽の光の届かない地下室では、燻る残り火でもその表情を窺い知ることは出来ない。
 だが、もう少女はぴくりとも動かない。
 子供の火遊びに対する、当然の結果だった。
 遊びは終わり――あとはチェックメイトをかけるだけ。
 私は残る銀のナイフを、全て彼女に目掛けて投げつけた。

 それは、頭の上のリンゴを打ち落とすよりも容易い作業で。

 時を止めて皮を剥くことも、皿に盛りつけることも必要なく。

 簡単に、本当に簡単に息の根を止めることが出来る、単なるお遊び。


「つまんない」


 少女にとっての。
 目の前に展開されたナイフが、一つ残らず砕け散った。
 何が起こったのか? その答えさえも知ることも出来ないまま――私は押し倒された。
 頭を強く床に打ち付けた。そこで私は自分が喉元を腕で掴まれた事を理解する。
 目の前には、本物の悪魔。
 壊れた玩具に失望する、無邪気な、本当に無邪気な、最悪の瞳。
 その時になって、ようやく私は理解した。
『遊んであげる。』
 少女にとって、この戦いそのものが、単なる遊びだったのだ。
 本当なら、私の事なんて一瞬で殺せるはずで。
 私はただ、生かされていただけ。

 ああ、なんて――なんて矮小な。

 私はこれから殺されるのだ。もちろん、少女にとって「殺す」などという厳かな意味は持たない――ただ単純に、つまらなかった玩具を壊すだけ。

 少女が、もう一方の腕を高く上げる。

 不思議と、死ぬことに対して恐怖は感じなかった。ただ殺されるだけ。戦って、弱いから死ぬのだから、何も間違ってない。
 怖くはない。(本当に?)だが、そうなると別の感情が浮かんできた。(本当に死ぬの?)
(悔しくないの?)
 ああ、悔しい。
 まだ死にたくない。
 まだやり残したことは沢山ある。
 人間の拙い願いを余所に、悪魔の腕は振るわれる。
 研ぎ澄まされた爪は、私の脳天をあっさりと。

 光が、零れた。

 微かに照らす、太陽の光。
 その光は、夜の支配者の動きを一瞬止める。
 一瞬の奇跡。
 私は躊躇わず、傍に落ちていた銀のナイフで、少女の右目を――突き刺した。

「あああああああああ!!!!」

 少女が痛みのあまり左目を押さえる――それと同時に、私は少女の身体の下から逃れた。
「メイド長、こっちへ!」
 姿の見えないところから、声が聞こえてきた。どうする当てもなくなった私は、そちらの方に向けてがむしゃらに身体を投げた。
 すると、ある地点を越えた所から、突然別の人物の姿が現れた。
 それは、とうに存在を忘れていた三人組の妖精。
「あなた……たちは?」
「ずっと影でこっそり見てたんです!」
「私たちの能力でこっちの音は聞こえないし、見えないから流れ弾にだけ当たらないようにこっそりと……」
「そう……」
 こちら側から少女の様子を見る。少女は突然消えた私に怒り狂っている様子で、周囲一帯を所構わず破壊し始めている。
「私たちも協力しますから、やっちゃいましょうよ!」
 サニー、とおそらく呼ばれていた妖精は、未だにやる気のようだ。
さっきはたまたまやられただけ。まだ勝てる。そう思っているのだろう。

「……いえ、帰るわ」

 一方の私は――完全に、毒気を抜かれていた。

「え、ええ〜!」
「何言ってるのよサニー、武器も全部無くなっちゃったんだから、当たり前でしょ」
 私はその言葉には、一切返さなかった。
 メイド長である手前、本当のことを言うわけにはいかない。
 私は、たとえ装備が万全だったとしても、この妖精たちがバックアップをしてくれたとしても、もう二度と、あの悪魔とは戦わない。
 それほどまでに格が違う。


 妖精たちの力を借りて、少女の暴走に巻き込まれないよう地下室から離れていく。
 既に身体はボロボロで、妖精たちの力を借りなければ歩くことすらままならなかった。
「それよりも……しなきゃいけない事があるの」
 もう、一歩も歩きたくない――でも私も、立ち止まってはいられない。
「……なんですか?」
 ルナという妖精は、私にそう尋ねた。
 何って当然。
 この事件の後始末。
「お嬢様に報告しなくちゃね」




   7/後始末と花束/咲夜


「ああ、フランのことね」
 地下室での報告を聞いたお嬢様の反応は、ひどくドライだった。
 てっきりお叱りの言葉でもいただける……いや、いただくかと思いきや……。
「は、はい……フラン、ですか?」
 名前を付けていると言うことは、もしやお嬢様のペッ……
「うん。私の妹よ」
「……うええぇぇぇぇぇぇ!?」
 い、いいい妹様!?
「えっ、い、いや確かにお嬢様と同じ吸血鬼のようでしたけど、まさかお嬢様の妹様とは思いもよらず……ええっと兎に角大変失礼致しました!」
「いいのよ別に。丁度いい躾だわ」
 謝罪の言葉を述べまくると、しかしお嬢様は気にした様子もなくのほほんと紅茶を飲んでいた。
「でも、目にナイフ突き刺しちゃいましたけど」
「……まあ、流石にアレには姉として心が痛んだけどね」
 少し苦い物を舐めたように笑みを歪ませた。
 そりゃあそうですよね……あれ、でも『アレ』って……。
「……あのお嬢様、もしかして……」
「そう。見てたわよ。ちゃんと一部始終をね」
 パチュリーが教えてくれたわ。とお嬢様は言った。
「大体、ちゃんと地下室の監視をしてなきゃ、あんな娘抑えられないでしょ? 今頃パチュリーがフランを回収に行ってるから、安心しなさい」
 そう言いながら、お嬢様は手鏡を差し出した。
 なるほど、どうやらこの鏡面から地下室の様子が見られるようで……『こら、フラン落ち着きなさい! 私よ! 私、パチュリー……って嫌あああぁぁぁぁ! ぎゅっとしちゃらめええぇぇぇぇぇ!』……。
「……まあ、うん。安心しなさい」
 少し冷や汗を流しながら、鏡を仕舞う。
 ほ、本当に大丈夫なんだろうか……いやまあお嬢様がそう言うのなら……。
「だから、あなたが今日してた事は、全部お見通しってわけ」
 いたずらっ子のようでいて、威厳ある主のような、そんな声色。
「……はい」
 私は、静かに頷く。
「そんなあなたに対して、私から言えることは一つだけ……」
 レミリア様は、ゆっくりと傍に近寄る。
 そうして彼女は私の肩に手をかけると、私の耳元でそっと囁く。
「おかえりなさい」
 あなたが無事に帰って来て良かった、と。
「……はいっ!」
 私は、胸に温かいものを感じながら、小さく、再び頷いた。

   ***

 次の日、私はとある部屋の前に立っていた。
 少しばかり緊張している。昨日のことを考えれば無理もないはず……と、自分に言い聞かせることにした。
 扉をノックする。「入って良いわよ」というお嬢様の声を確認して、一言断ってから部屋の中へと入った。
「あっ! あの時のメイド!」
 いち早く私の姿を見つけて声を上げたのは、地下室の少女――フランドール・スカーレット様だった。
 ここは、紅魔館のとある一室。地下室ではなく、外の見える客室用の部屋。窓の向こうから見られる外は、激しい雨が降っていた。
 部屋の中にはフラン様の他に、レミリアお嬢様とパチュリー様もいる。フラン様は左目に包帯をぐるぐると巻いていて、昨日の傷が伺える。ちなみに何故かパチュリー様の頭にも包帯が。
「昨日は申し訳ございませんでした、フラン様」
 腰を深く折り曲げ、丁重に謝罪する。うっ、と昨日とは違う反応にフラン様は身を強張らせ、ふんと毒気を抜かれたようにそっぽを向いた。
「ふん、そんなこと言ったって許してあげないんだから!」
「こらこら、咲夜は未来の義妹になるんだから、喧嘩しちゃ駄目でしょ」
 お嬢様がたしなめる。パチュリー様は義妹というワードを聞いて心底うんざりした表情を浮かべた。
「ふんだ! 咲夜みたいなきょーぼー女だいっきらい!」
 一方フラン様は、そんな言葉になど耳を傾けず首を振っている。
 大丈夫、こうなることも計算の内だ。自分にそう言い聞かせながら、私は空間からある物を取り出した。
「フラン様。私の能力は、こんな事も出来るのですよ」
 手渡したのは、白い紙で包んだ真っ赤な花束。
 庭で咲いていたのを摘んで空間で保存しておいた、色鮮やかな生命の安らぎ。
「うわぁ……っ!」
 もしかしたら、こんな間近で花を見たのも初めてだったのかも知れない。さっきまでの嫌悪感はどこへやら、瞳をお日様の光のように輝かせて、その花束に飛びついた。
「綺麗……ねえ、咲夜! 咲夜! これ貰って良いの!?」
「はい。フラン様のために朝一番に摘んできたんですから」
「本当!? ありがとう、咲夜!」
 ちょろいもんだ、と内心ほくそ笑みながらも、素直に喜んでくれるフラン様の笑顔に、自然と嬉しくなった。
 そんな二人の仲むつまじい姿に、レミリア様はちょっとムッとし、パチュリー様はあきれていた。
「もっとよく見たい!」
 フラン様は花束を目の前まで近づけると――バッと思いっきり目元の包帯を解いた。
 私はギョッとした。昨日、あれだけ深く突き刺した目元には――既にその傷跡すらなかったのだから。
 お嬢様に向けて視線を送る。するとレミリア様は「ああ」と小さく返事をして、歌でも口ずさむかのようにこう答えた。
「あの目は本物の目よ。いつも私が――」

                   
  <了>





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