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シンデレラになる日



「今日もお疲れ様でした、プロデューサーさん」

 一日の終わり。事務所に戻ってきた高森藍子は俺に向かって深々とお辞儀をした。

「うん、お疲れ。……といっても今日もレッスンであんまり俺の出る幕もなかったけどな」
「そんなことないですよ。プロデューサーさんが見ててくれるおかげで安心してレッスン出来るんですから」

 藍子はデビューしてから一年近くになるアイドルだ。新人アイドルとしては人気のある方だが、全国的な知名度としてはまだまだ知られていない方だ。一週間仕事が埋まらないことなんていうのもざらにある。

「そう言ってくれると嬉しいけどな。うーん、俺がもっと大きな仕事取ってこれれば良いんだけどなぁ」
「ふふっ。でも私、今のままでも充分幸せですよ。応援してくれる方々もいらっしゃいますし、アイドル楽しいです。それに……プロデューサーさんとお仕事するのも、好きですから」

 ちょっとだけ照れくさそうに、藍子はそう言ってくれた。担当アイドルにここまで言って貰えるのだからプロデューサー冥利に尽きるというものだろう。
 プロデューサーの俺が言うのも贔屓だと思われるかもしれないが、藍子は実力のあるアイドルだ。それこそ、テレビの第一線で活躍してるアイドルたちと比べても見劣りしないぐらいの才能は持ってると信じてる。
 それでも、トップアイドルの壁は大きい。
 決して実力だけで乗り越えることの出来ない壁だ。運だって必要になってくる。だけど、それ以上に欠けているものがあるということも、分かっているつもりだ。
 それは俺のプロデューサーとしての実力不足と――藍子が、現状に満足してしまっているからなんだろう。
 藍子は、みんなが笑顔になれるようなアイドルになりたいという志を持つ女の子だ。
 いつだって周りを笑顔にしようと努力しているし、そういうことが出来る不思議な魅力も持っている。実際、ライブに来たお客さんをみんな笑顔にしてきた。
 みんなを笑顔にする。そういうアイドルであることを望み、周りからも望まれている。ある意味では完成したアイドルと言っても過言ではない。
 でもだからこそ、そこに「先」はない。
 藍子はもう既に夢を叶えてしまっているのだから。
 昔、「決して一番じゃなくたっていいんですよ」と言ったことがあった。一番のアイドルになるのではなく、誰かの一番になること。そうあることを望んでるとても優しい子だ。だからこそ、俺がこの子を支えてやりたいと、誰よりも思ってるつもりだ。
 けど、アイドルの世界というのはそんなに甘いものではない。
 沢山のライバルがいる中で、トップを目指さなくてはならない。光り輝く星にならなければならない。アイドルになるということはそういうことだ。競い合って互いを磨いていくことでようやく生き残ることが出来るのだ。

「どうかしたんですか、プロデューサーさん?」
「……いや、なんでもない」
「なんだか怖い顔してたから心配しちゃいました。……そうだ、今度一緒にご飯食べに行きませんか? とても素敵なお店を見つけたんです」
「お、いいな。藍子が薦めてくれる店に外れはないからなー。一緒に行くか!」
「はい! ……ふふっ、なんだか楽しみです」

 だからこんな日が来ることは――覚悟していたつもりだった。


   ***


 それから数日経ったある日。

「ちょっといいか、藍子」

 いつものように仕事から帰ってきた藍子に声をかけた。藍子は笑って、それだけで嬉しそうに返事を返してくれる。
 だからこそ、後ろめたかった。

「どうしたんですか? プロデューサーさんが……」
「真面目な話があるんだ。……少し、大丈夫か?」

 その様子に何かを感じ取ったのだろう。藍子は口をつぐんで、黙って頷いた。
 そのまま事務所にある小さな会議室へと呼び出した。会議室は埃っぽくて、電気をつけても少し薄暗かった。
 会議室でお互い向かい合う形でソファに座った。藍子はあまり慣れない雰囲気に緊張している様子だったが、どうしても真っ直ぐに顔を見ることが出来なかった。
 ……黙っていても仕方あるまい。
 動揺してるのを悟られないように小さく息を吸ってから、話を切り出した。

「この間、社長から話があってな」

 藍子は真っ直ぐに眼差しを向けたまま、ぎゅっとスカートの裾を握った。その姿があまりに強張っていたから、慌てて弁解した。

「ああ、もちろん藍子がアイドル出来なくなるとか、そういう話じゃないからな。もっと安心して聞いてくれ」
「そ、そうなんですか……良かった……」

 ほっと、藍子は胸をなで下ろした。たぶん一番畏れていたことだったのだろう。緊張が解けたようで少しだけ微笑んだ。
 藍子がいつもの様子に戻ってくれたので、安心した。

「だけど、ちょっと担当換えがあってな――」

 だから俺は、平静を装いながら。

「今度、藍子の担当プロデューサーから外されることになったんだ」

 社長から言われた事実を、そのまま伝えた。

「――え?」
「クビとかそういうことじゃないんだけどな。ただ社長は藍子がもっと上を目指せると思ってるらしい。……今のままでいてもこれ以上の成功は望めないからって言ってさ」

 きっと社長の言うことは正しいのだろう。このまま二人でやっていっても、大きな変化は無いように思えてしまう。新しいことをしていかないと、埋もれてしまうばかりなのだから。

「次の藍子の担当になるプロデューサーは優秀な人らしいんだ。だからそいつと一緒に……」

 今回のことを、俺はそれほど心配していなかった。
 藍子は芯の強い子だから、俺でなくてもちゃんとやっていけるだろう。敏腕なプロデューサーのもとで活動していけば今度こそトップアイドルになれるかもしれない。藍子は寂しがってくれるかもしれないけど、その方がきっと藍子の為になる。そう自分に言い聞かせてきた。
 だけど。

「――嫌です」

 藍子は、はっきりとそれを拒絶した。

「私、プロデューサーさんと離れるのなんて絶対に嫌です」

 真っ直ぐな眼差しを向けて、そう言った。
 こんな風に強く反発されるとは思ってもみなかったから、少し戸惑ってしまった。藍子がこうやってはっきり嫌だと言うのなんてもしかしたら初めてかもしれない。
 だけど、俺は首を横に振った。

「駄目だ。それを聞くわけにはいかない」
「どうしてですか!?」

 藍子は立ち上がって身を乗り出した。その表情があんまりにも悲痛なものだったから、思わず目を逸らしてしまった。

「私、こんな風に言われても納得できないです。悪いところがあるならはっきりと教えてください。もっとちゃんとやれるように頑張りますから! せめてもう少しだけ、私に時間を――」
「藍子!」

 耐えきれなくなって、思わず大きな声をあげてしまった。その声に藍子はびくりと肩を震わせてしまい、そんな風に怯えさせてしまったのがまた辛かった。

「……すまない。けど、これはもう社長と話し合って決まってしまったことなんだ。今更変えることなんて、出来ないんだ」

 藍子はしばらく、じっと俯いていた。泣いてるのかもしれないと思ったが、今の俺に欠けてあげられる言葉は何もなかった。
 けれど、彼女は泣いてなんていなかった。

「……結果を、出せばいいんですよね?」
「藍子……?」
「プロデューサーさん。次のオーディションはいつですか?」

 顔を上げた時には、藍子の表情は何らかの決意に満ちていた。

「次のオーディションは半月後だけど……おい、藍子――」
「私、次のオーディションで優勝してみせます。答えを出すのは、それからにしてもらえませんか?」

 俺は慌ててスケジュール帳を開いて確認してみた。記憶に間違いがなければ、その日は……。

「次のオーディションって……分かって言ってるのか? シンデレラガールズグランプリだぞ」

 シンデレラガールズグランプリ。
 それは、全国のアイドルが集う祭典。おそらく若手が参加できる中で最大級の大会だ。それぞれのアイドルがライブを行い、日本で最も輝けるアイドルを探す大会で……俺たちが参加できたこと自体、奇跡に近い。
 だけど、藍子の決意は固いようだった。

「難しいってことは分かってます。……だけど、それぐらいしないと納得してくれないんですよね?」
「納得するとかそういう事じゃ……」
「私のわがままだってことは分かっています。でも、どうしても諦めきれないんです。……お願いします、私にチャンスをください」

 再び藍子は立ち上がり、今度は深々と頭を下げた。……俺は藍子にこんな格好をさせるために、この話を切り出したわけじゃないというのに。

「……分かった。社長には話を通しておくよ。でもこれが本当に最後になると思う。……それでいいか?」
「……プロデューサーさんは……」

 藍子は何かを言いかけたけど、首を横に振ってから、思い詰めたような表情で言った。

「いいえ、大丈夫です。……その代わり、二つだけお願いしてもいいですか?」


   ***


 数日後。
 俺は藍子が通ってるレッスン場の前までやってきていた。
 いつものように一緒に通うわけではなく別行動だ。そもそも藍子からはここに来ないでくれとまで言われているのだから。
 ……あの日。
 藍子から言われたことを、思い出していた。

『次のオーディションが終わるまで引き継ぎの話は進めないで欲しいんです。それと――大会の日まで、私と会わないで貰ってもいいですか?』
『……どうしてだ?』
『甘えたくないんです。プロデューサーさんに。……プロデューサーさんの顔を見たら頼っちゃいたくなりそうですから、一人で頑張りたいんです。これは私のわがままなんですから、プロデューサーさんにこれ以上迷惑をかけたくないんです』

 俺はその言葉に、藍子の決意にただ頷くことしかできなかった。他にどんな言葉をかければいいのかなんて分からなかったし……言う資格も無かったのだから。
 だけど、会わない代わりに様子だけは見に来ていた。声をかけてやることも支えてやることも出来ないけど、せめてどれぐらい成長しているのか、見守れるように。
 丁度藍子はレッスンの真っ最中だった。中に入ってる人が集中できるようスタジオと控え室の壁は加工されており、こちらから向こうの様子は見られるが向こうからは分からないようになっている。
 藍子は、とても真剣な表情でレッスンをしていた。頑張り屋ではあるけどどこかマイペースなところがあるから、ここまで集中している表情を見るのは初めてだった。
 同じく控え室で監督していたトレーナーさんがこちらの方へやってきた。トレーナーさんの姉妹の中でも長女のマスタートレーナーさんだ。

「これはプロデューサー殿。どうやら心配で見に来られたようだな」
「ええ。まあ……それで、藍子の様子はどうですか?」
「うむ。これまでに無いほど順調だよ。もともと才能はある子だったからな。トップへの執着が芽生えたおかげでモチベーションも上がってみるみる上達していってるぞ。この分なら優勝もあり得ない話ではないな」
「そうですか、良かった……」

 ひとまず、ほっと安心した。
 そしてすぐに、後悔が襲ってきた。……もともとそんなに才能のある子だったなら、これまで上に上がってこられなかったのは、その才能を引き出せてやれなかった自分のせいなんじゃないかと。
 だけど、そんな言葉とは裏腹にトレーナーさんの顔は満足そうとは言えなかった。

「ただ……」
「何かあるんですか?」

 そう尋ねると、トレーナーさんはいたずらっぽい笑みを浮かべて。

「いや。これは私の口から言うことではないな。ましてや君は、藍子くんのプロデューサーから降りるつもりなのだろう?」
「…………」

 返す言葉もなかった。
 確かに、藍子になんの手助けも出来ない俺がそれを聞いたところで、どうすることも出来ないのだから。
 そんな俺の様子を見て、トレーナーさんは笑って。

「もし君が本当に藍子くんのプロデューサーでありたいのなら、君自身の目で気付いてあげることだ。それが出来ないのなら、やっぱり君はプロデューサーを辞めた方がいいのだろう」
「……そう、ですね」

 もう一度、必死に練習する藍子のことを見た。
 既に何時間レッスンしているのだろうか。その必死な表情からは、きっとこちらが見えていたとしても気付かないほど集中しているであろうことがよく分かる。
 きっと、本当はもう俺なんか必要ない。一人でも羽ばたけるアイドルになっているのだろう。それでも藍子は必要だと言い、一緒にいることを求めてくれている。
 だけど、だからこそ、本当にそれは彼女の為になるのだろうか?
 答えの出ないまま、俺はトレーナーさんにお礼を言いレッスン場を後にした。気付けば外はもう夜になっており、少し肌寒かった。


   ***


 この話を社長にしたら「そうか、頑張ってくれたまえよ」とだけ声援して、それ以上は何も言わなかった。もちろん、優勝出来た時のことも、出来なかった時のことも。
 当然のことながら、シンデレラガールズグランプリを優勝出来たとしても俺が藍子のプロデューサーを続けられる保証なんてない。既に引き継ぎに関しては合意のあることだし、俺らがいくら言ったところでその決定を覆すことなんて出来ないのだから。
 ただ、努力した結果を見せて、社長の気が変わってくれることを願うこと。あるいは、それだけの価値があることを見せつけること。それぐらいしか出来ることはない。
 だというのに俺は藍子のためにしてやれることは何一つ無く――気付かれないようにその成長の過程を見守ることだけだった。
 せめてと思い、藍子がレッスンしている姿をほとんど毎日見に通っていた。藍子が日に日に上達していく姿に胸が打たれると共に、その隣にいてやれないことが心から歯がゆかった。藍子が時折辛そうな表情を見せる度に傍に行って励ましてやりたい衝動に駆られた。
 でもそれは、藍子を裏切ることになるから。
 一人で頑張って成長しようとしている藍子の妨げにしかならないから。
 拳を握りしめたまま、ただ黙って見守っていた。

 そして、グランプリ前日の夜。
 一本の電話がかかってきた。それが二週間ぶりに見る番号だったから、少し緊張した手で電話を繋いだ。

『もしもし……プロデューサーさんですか?』

 藍子からだった。

「ああ、藍子。どうかしたのか?」
『夜分遅くに申し訳ありません。……ただ、どうしてもプロデューサーさんの声が聞きたくって』

 その声からは、電話越しでも僅かに疲れた様子が伝わってきた。オーディション前に声を涸らしてなければいいがと不安になった。

『……明日、ですね』
「……ああ」

 明日。
 結果がどちらになろうとも、二人の運命が決まる。

『プロデューサーさんも、来て、くれるんですよね?』
「当たり前だろ。なんていっても明日が最後になるかもしれないんだからな」
『……そう、ですよね……』

 言ってしまった後で、しまったと後悔した。そんなこと意識させるべきじゃなかったのに。

『……明日』
「ん?」
『明日、優勝すれば……プロデューサーさんとずっと一緒にいられるんですよね?』
「……そうだな」

 もちろん、確かなことではない。
 でもそれが藍子のモチベーションになればいいと思って、俺はそう言った。
 しばらく藍子は黙っていた。電話越しだから、藍子がどんな表情をしているのかは分からなかった。

『……私、頑張りますから』
「……うん」
『明日、きっと……優勝出来るように、頑張りますから』
「……ああ、頑張れ」

 こんな時なのに、声をかけてやることしか出来ない。
 だからこそ、全力の想いを込めて、言葉に託した。
 どれだけ藍子に伝わったかは分からない。だけど、なんとなくだけど、少しだけ声色が柔らかくなったような気がした。

『ありがとうございます。……それじゃあ、私ももう寝ます。こんな夜遅くに申し訳ありませんでした』
「ううん。ゆっくり休んでくれよな」
『はい。では、また明日』

 そうして、通話は途切れた。
 通話が切れたままの携帯電話を、しばらくなんともなしに見つめていた。
 ……もしかしたら、もう俺は藍子にとって必要のない存在なのかもしれない。
 それでも、明日だけは、藍子が頑張るためのゴールになれればいいと、強く願った。


   ***


 そして、運命の日。
 シンデレラガールズグランプリの開催日。
 俺は藍子から一足遅れて会場まで来ていた。会場は今まで仕事をしてきた中でも一番大きな場所で、こんな場所でライブをやれるのかと感心してしまった。
 人波に揉まれながら控え室までやってきた。開場はもう始まっているが、藍子の出番は順番的にまだ先だ。
 でも、俺がライブ前に話す最後の人になるかもしれない。
 そう思い身構えながら、控え室の扉を叩いた。返事が返ってきたのでおそるおそる扉を開くと、そこにはステージ衣装に身を包んだ藍子の姿があった。

「……お久しぶりです、プロデューサーさん」
「……おう」

 たったの、二週間。
 いつも影でレッスンする姿は見ていたというのに、その姿はまるで成長した美しい女性のようにすら見えた。
 ステージ衣装のおかげもあるのかもしれない。だけど、それ以上に洗練された美しさがそこにあった。外見だけではなく、内面から映し出される光のようなものがあった。
 これが、今の藍子なのか。

「この衣装、どうですか? 少し派手かなとも思うんですけど……」
「そんなことないぞ。……とても似合ってる」

 お世辞なんかではなく、本心からの言葉だった。これなら他のアイドルにも見劣りしない……いいや、きっと誰よりも輝けるだろう。

「そう、ですか。ありがとうございます」

 その言葉とは裏腹に、藍子の表情はとても強張って、緊張しているように見えた。
 ……少しだけ、違和感があった。
 何か、取り返しのつかないようなことになってしまいそうな違和感が。

「そ、そうだ。飲み物とか大丈夫か? ライブ前の水分補給は大事だぞ」

 その不安を拭い去ろうと、話を切り替えようとして、ペットボトルを差し出した。他愛のない、いままでと同じようなライブの前の会話。

「ありがとうございます。……いただきますね」

 藍子も、今までと同じようにそのペットボトルを受け取ろうとした。
 けれど、受け取ろうとしたその時、そのまま飲み物を床に零してしまった。

「あっ……ご、ごめんなさい!」
「いや、それぐらい俺が……」

 拾おうとしたけれど、それを制するように藍子は床に落ちたボトルを取ろうとした。
 だけど、また落としてしまった。
 何度かそれを繰り返して、ようやく手に取ることが出来た時には、もう半分ぐらい中身は無くなってしまっていた。
 それでも、その零した水を気にする余裕すらないのか、そのまま口に運んで、ちょっと口に含んだだけですぐに戻してしまった。
 ペットボトルを握る手は、あまりに震えてしまっていた。

「ご、ごめんなさい……駄目ですよね、私。ライブ前なのに……こんな……」

 とりつくろうように、藍子は笑顔で誤魔化そうとした。けれどその笑顔も、頬を引きつらせただけで、ちっとも笑ってなんかいなかった。
 その姿を俺は、呆然と見つめることしか出来無くって――そして、ようやく気付いた。
 俺は、なんて思い違いをしていたんだろう。
 藍子は何でも一人で出来る完璧なアイドルなんかじゃなくて――ただの、十六歳の女の子だったというのに。
 自分なんか必要ないって思い込んで、諦めて、気付くことすら出来なくて、支えてやろうとすらしなくって。
 居てやらなくっちゃいけなかったのに。
 俺が一緒に居てやらなくっちゃいけなかったのに。
 そう思った時には、もう俺は藍子の肩を掴んでいた。

「プロデューサー……さん?」

 ほとんど無意識だった。藍子はとても驚いた表情を浮かべて、俺の顔を見ていた。
 けどもう躊躇わない。
 俺は藍子のプロデューサーとして。そのままの思いを伝えた。

「――笑え、藍子」

 それは、最初の思い。
 藍子をトップアイドルにしてやりたいと思った、藍子の一番素敵なもの。

「藍子はみんなを笑顔にさせるアイドルになりたいんだろ? だったら、藍子がそんな辛そうな顔をしてたら不安になって、安心して笑えないじゃないか」

 藍子ははっとしたような表情を浮かべて、瞳を見開いた。

「藍子の笑顔にはみんなを笑わせる力がある。一番近くで見てきた俺が保証する。だから、笑おう。まだその笑顔を知らない人たちに見せてやろう。笑えばきっと――誰よりも輝けるから」

 そんな藍子を、もう二度と裏切らないと心に決めて。

「俺は、ずっと藍子の隣にいたいんだ」

 もう二度と、迷ったりなんてしない。
 俺はずっと藍子のプロデューサーでいたいんだから。

「プロデューサー、さん……」

 藍子の瞳から涙が零れていた。
 それに気付いた彼女は指で涙を拭って、だけど、拭っても拭っても、涙は零れてきて。

「ち、違うんです。悲しいときは我慢できたのに、嬉しいのに、涙が……」

 最後まで言い切れないままに、張り詰めていた糸が切れたように、泣き始めた。倒れてしまわないように腕の中で支えた。

「ずっと……私、不安だったん、です」

 ぽつり、ぽつりと。零れる涙のように藍子は語り始めた。

「プロデューサーさんが、私のこと要らなくなっちゃったんじゃないかって。見捨てられちゃったんじゃないかって」

 こんなに優しい子をこんなにまで追い詰めてしまったのかと思うと、胸が痛んだ。

「そんなの逆だ。……俺が、もう藍子にとって必要ないんだと思ってたんだ。そう思い込んで、ずっと藍子に辛い思いをさせてたんだ。……ごめんな、藍子」

 しばらく二人きりでそうしていた。藍子は辛かった分涙を流して、俺はそれを支えて。
 きっと、泣いた後には、泣く前より笑っていられるように願って。

「……私で、いいんですか? こんな泣き虫な私で、こんな弱い私で……」

 ……そんなの、答えるまでもない。

「それはこっちの台詞だ。……こんなに頼りないプロデューサーでも、本当に良いのか?」

 藍子はゆっくりと、俺の胸から顔を離して、こちらを向いた。
 涙でくしゃくしゃになった顔で、だけど、今までに見たどんな笑顔よりも素敵な笑顔で。

「はいっ。プロデューサーさんじゃなきゃ、駄目なんです」

 それは、いつの日か見た――そして、これから見ていくのであろう。
 アイドル、高森藍子の笑顔だった。

 控え室に、名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
 藍子の出番がやってきたのだ。
 少しだけ名残惜しそうに、俺の腕を離した。

「それじゃあプロデューサーさん。私、行ってきます」

 涙のせいで化粧は崩れてしまっていて、瞳はまだほんのりと赤みが残っている。時間が来てしまったとはいえ、決して万全の状態ではない。

「大丈夫か?」

 だけど、そんなことちっとも問題なさそうに藍子は振り返って。

「もちろんです。……その代わり、お願いしてもいいですか?」
「ああ。なんでも言ってくれ」

 とっておきの笑顔を浮かべて言った。

「私のライブを、ずっと見守っててください」

 それはきっと、カボチャの馬車よりも、ガラスの靴よりも素敵な魔法。

「プロデューサーさんが見守ってくれるなら私は、世界中の誰よりも笑ってられますから」

 藍子はステージへと向かった。今度は振り返らず、前だけを見つめていた。
 超満員のステージの上で、その中の誰よりも笑顔のまま。
 そして、藍子は一歩目を踏み出した。
 シンデレラガールになるための、本当の一歩目を。


   ***


『や あプロデューサー君、見ていたよ君たちのステージ。とりあえずおめでとうと言っておこうか。いやー素晴らしいものを見せて貰ったよ。こんなことになってし まっては明日から大忙しだろうが、藍子くんを支えてやってくれ。うん、担当換え? ……なんのことかね。それよりこれからも二人で頑張ってくれたまえよ、 プロデューサー君』

 楽屋にかかってきた社長からの激励とも答えとも言える電話を切ってから、一息ついた。

「……なんだか、社長に上手い具合に化かされたような気がするな」

 結局。
 どうやらこれからも俺は藍子のプロデューサーを続けていられるらしい。それも藍子のがんばりがあったからだけど……。

「社長も、もしかしたらこうなることを予想してたのかもしれませんね」
「うーん、それはちょっと良く捉えすぎじゃないのか?」
「そ うかもしれません。でも、今日のことはとっても為になりました。……私、これまでずっとファンの皆さんが笑ってくれれば、一番になれなくっても良いって 思ってきました。でも、こうして一生懸命練習して、お客さんと本気で向き合えば、もっとみんなが笑顔になってくれるって分かったんです。……そう考える と、今まではファンの皆さんに甘えてしまっていたのかもしれませんね」

 えへへ、と照れくさそうに笑いながら、藍子は言った。
 ……一方の俺は、まだ心残りがあった。
 今回、俺は結局オーディションの当日まで何にもしてやることが出来なかったのだから。最後だって、俺は彼女の背中を押してやるだけで……。

「……なあ、本当に俺で良かったのか?」

 すると藍子は、ちょっとだけむすっとして。

「プロデューサーさん。あんまり言うと、怒りますよ?」

 そしてすぐに屈託のない笑みを浮かべて、言葉を続けた。

「私にはプロデューサーさんしかいないんです。プロデューサーさんじゃなかったら、きっと私……つらくって、投げ出しちゃってるかもしれません」

 それは俺を励ますためではなく、本心から言ってるかのようだった。

「今回プロデューサーさんから離れてみて……いつもどれだけ助けられてるか、よく分かったんです。プロデューサーさんがいるから、辛いレッスンも頑張れてるんだって……だから、見に来てくれてたのも、すごい嬉しかったんですよ?」
「……知ってたのか」
「はい。トレーナーさんがこっそり教えてくれましたから」

 くすっと笑いながらそう言った。……まったく、つくづく周りに助けられてるな俺は。

「だから、これからもよろしくお願いします。プロデューサーさん」

 真っ直ぐな、曇りのない願い。
 今ならどんな風に答えればいいのか、よく分かる気がする。

「ああ。こちらこそよろしくな。藍子」

 少しだけ、こそばゆい空気が流れた。
 珍しく藍子までなんだか戸惑っているような、そんな雰囲気。

「そ、そうだ。せっかく首が繋がったんだし、なんでも言うこと叶えてやるぞ」

 恥ずかしい空気を誤魔化そうと、慌てて話題を振った。

「そんな、気を遣ってくれなくてもいいですよ」
「気遣ってなんかないさ。準備もしてきたからなんでも聞いてやれるぞ」

 ちょっとだけ困ったような顔をして考えていたが……やがて閃いたように頷いて。

「……じゃあ、そこのソファに座って貰ってもいいですか?」
「ん? あ、ああ」

 言われるがままに二人がけ用のソファに座った。すると藍子もトコトコと近づいてきて、ちょこんと、その隣に座った。

「少しだけ。肩、お借りしますね」

 そうして、おそるおそる、といった様子で、俺の肩に頭を乗せて目を瞑ってしまった。

「お、おーい。藍子ー?」
「ライブで疲れちゃったんです。だから、プロデューサーさんの肩で少しだけ休ませてください。……駄目、ですか?」
「いや、もちろんそんなの駄目じゃないけど……」

 恥ずかしいだけで……。
 藍子に肩で寄り添われるというのは、妙にそわそわとしてしまった。もし関係者がこの現場を見たらどう思われるのだろうかとちょっとだけ心配もしてしまう。
 だけど、やっぱり叶えてやらなくっちゃな。
 今日の藍子はシンデレラなんだから。

「……なあ、本当にこんな願いで良いのか?」

 だけど、せっかくの魔法の願いがこんなことでいいのかと少しだけ気後れしてしまう。
 すると藍子は肩に寄り添ったまま瞼を開いて。

「はい。だって、こんなこと言ったらアイドル失格かもしれませんけど……」

 世界で一番優しい笑顔を見せてくれた。

「私、誰よりもプロデューサーさんの笑顔を見るのが好きなんですよ」



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