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アメとほにゃらら



「い、いやだっ! 私は働かないぞっ! アイドルだろうとなんだろうと……お断りだーっ!! ……え? アイドルになれば印税で一生楽に生きていける? ほ、本当? ……は、話を聞かせてもらおうじゃないか」


 なんて話をしたのは、何ヶ月か前のことだったっけか。
 私、双葉杏は今アイドルなんてものをしている。
 ちょっと前まで半引きこもり生活を送っていたことを考えれば、激動ともいえる進歩だろう。朝早く……とはいえない時間に、けれどぎりぎり遅刻にならないぐらいの時間に出社し、プロデューサーに怒られながら仕事をこなしていく。
 相変わらず仕事を熱心にやっていこうなんて気にはなれないけれど、最低限自分で暮らす分のお金は自分で稼いでいるんだから誰に文句を言われる筋合いもない。れっきとした社会人だぞー……なんて胸を張る気にはならないけど、とりあえず今はつつがなくアイドルとしての暮らしをやってきている。
 これが仕事である以上、いつまでも好きなだけ寝ていられる権利なんてない。
 働かなくてはいつまでもこんな生活を維持する事だって出来ない。

 まったく。どうしてこんなことになっちゃったんだか。



「ほら、杏。そろそろ出番だぞ」

 いまいち迫力に欠けるプロデューサーからの言葉をかけられて、仕方なく私はゲームのスイッチを消した。

「ええー、もう? 杏、今日は休みたい気分かなぁって……」
「そんなこと本番十分前に言うな!」
「もっと前に言えば休ませてくれたの?」
「そんなわけないだろ……ほら、リハーサルはちゃんと出来てたんだから寝癖ぐらいちゃんと直しておけよ」

 うぐっ。と私が確認するよりも早く、プロデューサーは鏡とクシを放り投げて楽屋から去っていった。……一応私が女の子ということで、身繕いするのに気を遣ってくれたんだろう。
 今日は、私のアイドル生活として何度目かになるライブの日だった。ライブといっても武道館だとかそんな大したものじゃなく、こじんまりとしたライブハウスでのものだけれど。
 それでも一応はチケットの方が完売したらしく、会場は異様な熱気に包まれていた。……まあ私なんかの為にご苦労さまで、となむなむ手を合わせたいところでもあるけど、とりあえず寝癖を直すことを先決にした。
 手鏡を手に髪型を念入りにチェックしてみる。

「ううーん……そんなに寝癖ついちゃってるかなぁ」

 念のため気になるところを整えながら細部まで調べてみる。これで私に緊張感を持たせるための嘘だったりしたら……ぬいぐるみをぶつけるか、アメをねだることにしよう。

「……ま、大丈夫か」

 そうして一通り身なりを確認し終えて……改めて会場の方へ意識を向けた。
 小さいライブハウスなので、楽屋と客席の位置はそれほど離れていない。ちょっとした廊下で隔たれているので姿は見られないが、空気を感じることは出来る。
 この壁の向こうには、百数十人もの人がいるんだろう。
 多くはないけれど、決して少なくはない数。少なくともアイドルをやる前の私が集める事なんて絶対に出来なかった人数。

「……本当、どうしてこんなことになったんだか」

 あの日。
 プロデューサーからアイドルの勧誘を受けた日。
 両親が何を血迷ったのかアイドル事務所に私の履歴書を送って、たまたま私の履歴書に目を留めたプロデューサーがわざわざ家まで勧誘に来たのがすべての始まりだった。
 印税で一生楽に生きていけるー、なんて甘言に耳を傾けなければ私はこんな風に働かなくてもすんだのではないかと今でも後悔している。
 はじめは、本当に軽い気持ちで引き受けたつもりだった。甘い話だけほいほい聞いて、いざ面倒くさくなったら放り投げてしまえばいいと。どうせいつものことだと、そう思っていた。
 だけど、このプロデューサーは違った。
 悪く言ってしまえば、とんでもなくあきらめが悪い男だった。
 私が早速宣材写真を撮るのをバックれようとした時は家に来て引きずるかのような勢いで連れて行かれたり、レッスンなんてしたくないとだだをこねたらアメをエサに出され、結局練習するしかなくなってしまった……いやだって、アメくれるんだったら練習するしかないじゃん。
 そんな感じでプロデューサーとこれまでずっとやってきて、今日こうしてライブハウスを埋められるぐらいの人が来てくれるようになったのだ。よくここまで長続きしたものだなぁっと自分のことなが感心してしまう。
 ……ああでも、きっと本当にここまで頑張ってきたのはプロデューサーなんだろうな。
 私があまり準備をしてこなかったせいで失敗してしまった仕事だってあった。私のこんな態度をよく思わない仕事の人だって少なくはなかった。
 それでも仕事がなくならなかったのは……きっと私が見てないところでプロデューサーが頑張って仕事をとってきてくれたからなんだろう。
 私がどれだけだだをこねようとも、わがままを言おうとも、絶対に諦めてなんてくれなくて――ぜったいに、見捨てたりなんかしなかった。

「……杏をアイドルになんかしようとするんだから物好きなんだろうな。うん」

 なんだかよくない方向に考えが向きそうだったのでぷるぷると首を振って忘れることにする。うん、どれだけ良く受け止めようとも無理矢理私を働かせてるやつなんだし。
 ただ、ちょっとだけ感謝するぐらいなら、バチも当らないだろう。

「そろそろ時間だけど、大丈夫か?」

 ノックと共に扉越しに声をかけられる。恥ずかしいことを考えていただけにびくっと鏡を落としそうになって……そんな乙女な反応をしてしまった自分に、より一層恥ずかしくなってしまった。

「わ、分かった。今行く!」

 慌てて机の上に無造作に置かれていた帽子を被って楽屋を出る……前に、ソファーに寝っ転がっていたお気に入りのぬいぐるみを耳から握りしめて持ってきた。
 散々外に連れ回してきたせいでずいぶんと汚れちゃったけど、やっぱりこれがなくっちゃ始まらない。
 楽屋のドアノブに手をかける。今か今かと待ちかねている観客の熱気が扉越しにでも伝わってきた。きっとこれだけの期待に応えるのはとてもしんどいんだろうなぁと思うと帰りたくなるけど、そんなわけにもいくまい。その人達が今待ってるのは私だけなんだから。
 扉を開く。プロデューサの言葉に耳を傾けながらステージに上がっていく最中、割れるような歓声を聞いてふとがらにもなく思ってしまった。
 寝て起きれば、いつだって待ってくれている人たちがいる。
 働けば働くほど、応援してくれる人が増えてくれる。

 まったく。どうしてこんなことになっちゃったんだか。

 ちょっとぐらいなら、頑張っても良いかなって思ってしまうじゃないか。




「あー、つかれたー。はやくおうち帰りたーい」

 ライブが終わった後。
 体力を使い切った私は立ち上がる気力もなく、ぐでーっとソファに横になっていた。
 汗で衣装もぐしゃぐしゃだけど、着替える気さえ起きなくて……さっきは一瞬だけ頑張る気になっちゃったけど、やっぱり撤回。こうしてだらだらしてる方が性に合ってるんだ。

「お疲れ。今日のライブは良かったぞ、杏」

 帽子越しに手を乗っけられる感触は、プロデューサーだ。こんなに働かせてと一言文句でも言ってやろうかと思ったけど……端っこの方で心配そうにずっと見ていたのを知ってるから、まあ、今日はやめておこう。

「プロデュサーもう一歩も動けないよー。……おんぶして?」
「冗談言うな……と言いたいところだけど、今日は頑張ってたしな。タクシーまで運んでいってやってもいいぞ」
「やったー! ちゃんと家の中まで運んでね」
「それすらも面倒くさいのか……ちゃんと衣装は着替えてけよ」
「めんどくさい……プロデューサー、着替えさせて?」
「それは自分でやれ!」

 そう言い残して楽屋から一旦出て行った。まあ勿論プロデューサーが私を着替えさせるって言ってもお断りしてたけど……や、これでも乙女ですから。恥じらいぐらいはありますとも。

「なあ杏――アイドルって、そんなに悪くないだろ?」

 帽子を机の上に置いた時、扉越しから声が聞こえてきた。

「今はまだこんなところだけど、いつかドームいっぱいの観客に双葉杏っていうアイドルを見せてやれるよう俺も頑張るからさ……もう少しだけ、一緒にやっていこうな」

 それがあまりにも、まるで自分の夢のように語るものだから。
 私は――


「……そんなこと言って杏を働かせようと思ったって、そうはいかないんだからね!」


 いつも通りの返事をしてあげた。
 こういう時に一緒に頑張るって言ってあげるのがアイドルらしいのかもしれないけど……人は人、私は私だ。たとえ扉の向こうでプロデューサーが呆れ顔をしていようと、働くのなんてまっぴらごめんだ。
 だいたいこういう時にノリで言ったって長続きしないんだし、それなら最初から期待を持たせてあげない方が良いに決まってる。きっと向こうだって杏が素直に頷くなんて思ってないだろう。
 そういう風にしてずっとやってきたんだから、今更変える事なんて出来るはずがない。

「……でもまあ」

 だとしても。
 プロデューサーの言葉を否定出来ない自分がいるんだから。
 そんな事を言われてしまって、ニヤけちゃってる自分がいるんだから。


「プロデューサーがアメくれるんだったら、ちょっとくらい頑張ってもいい……かな」



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