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朝目が覚めて咲夜がいなかったら



 朝――といっても普通の人間にとっては昼って呼ぶのかなって頃合。
 私、レミリア・スカーレットは未だ開ききらないまぶたをこすりながら、重たい頭をゆっくりと起こした。
 まだまだ身体は睡眠を欲しているが、いつまでも眠ってるわけにもいかない。私みたいな妖怪にとっては日が昇ってる間なんて惰眠をむさぼるべき時間なのだが、ここで暮らしていくのならそういうわけにはいかない。人間はとても遅寝遅起だから同じ時間を生きて行くにはこちらから歩み寄らなければならないのだ。
 そんなわけですっきり目覚めるためにも、呼び慣れた彼女の名前を口にする。

「咲夜」

 わざわざ大きな声を出さなくても、彼女の部屋まで行かなくても、こうして名前を口にするだけですぐに咲夜は着替えの洋服を持って来てくれるのだ。私のとっても素敵で瀟洒なメイド。
 けれどその日は、いつまでたっても彼女が来てくれる気配は無かった。

「咲夜?」

 ためしにもう一度呼んでみる。けれど部屋の中に彼女の名前が満ちただけで、返事すら聞こえてこなかった。

「さくや〜〜〜〜〜〜?」

 今度は大きな声で呼んでみる。けれどやっぱり彼女は来なかった。まるで誰も知らないうちにこの世界から存在ごと消えてしまったかのように。
 仕方なく私は一人でベッドから起き上がって、少し迷ったけどパジャマのまま咲夜を探すことにした。寝衣のまま館の中をうろつき回るなんて淑女のすることじゃないけど、咲夜が来てくれないんだから仕方あるまい。
 とりあえず咲夜の部屋の前へとやってきた。こん、こん、と二回ノックを繰り返してみたが、気配はない。おそるおそる扉を開けてみると、換気のためか窓が開いてるだけでそこに咲夜の姿はなかった。

「まったく……主人をほったらかしてどこに行ってるのかしら」

 つい八つ当たりめいた不満をこぼしてしまう。半分は不満。もう半分は不安。普段はふたをして目を逸らしてる気持ちが、心の奥底からにじみ出てきた。
 心細さを覚えながらも、今度は食堂へ向かうことにした。もしかしたら料理に専念して気付いてないだけかもしれない。
 咲夜のいない館の中はどこか静かで、遠くから妖精の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。あるいは咲夜は外に遊びに出てるのかもしれない。そんな理由も考えながら一人歩みを進めた。
 食堂ではパチュリーが紅茶を淹れて一人で飲んでいた。いつも図書館に引きこもりがちな彼女がここまで出てくるなんて珍しい。

「おはようパチェ、今日は早いのね」
「おはようレミィ。……どうでもいいけど、咲夜を呼んでる声ここまで聞こえてきたわよ」

 こんな所にまで響いていたなんて。みっともない所を見られたみたいで少しきまりが悪い。

「そうそう。咲夜がどこにもいないのよ。パチェ、咲夜がどこに行ったか知らない?」
「知ってるも何も、昨日朝から市に行くって言ってたじゃない。忘れたの?」
「あっ」

 忘れてた。
 そういえば今日は買い物に行くから館から離れるって言ってたっけ。

「その様子じゃ本当に忘れてたのね……」

 パチェは呆れたようにため息をついた。

「し、仕方ないじゃない。起きる頃には帰ってきてると思ってたんだもの」
「確かに思ってたより遅いけど……何か用事でも出来たんじゃないの? どちらにしろそれまでは一人で身支度ぐらいしときなさい」
「咲夜がいないんだったらもう一度寝ようかしら」
「貴方は……本当咲夜がいないと何にも出来ないのね」

 流石にパチェの言いようにむっとしてしまう。

「そんなわけないでしょ? 五百年も生きてるんだもの。咲夜がいなくっても何でも出来るわよ」
「着替えも出来ないのに?」
「これは着替えが見つからなかったんじゃなくて……そう、従者の仕事を取ってはいけないという主人の気遣いよ。主を着替えを手伝うのも従者の立派な仕事でしょう?」

 パチェは再び呆れたようにため息を吐いた。

「……うん、分かった。やっぱり貴方今日は一人で色々としてみるべきよ。咲夜に頼りっきりで何にも出来なくなってるんじゃないかって心配になってきた」
「そ、それぐらい一人で出来るわよ!」
「じゃあ試しに紅茶淹れてみなさい。それぐらい大したことじゃないでしょ?」

 そこまで言われたら仕方ない。ここで引いたら吸血鬼の名がすたるというものだ。
 早速紅茶を淹れるべくキッチンまで行った。何年かぶりに入る調理場は私の記憶よりもはるかに広く拡張されていて、なのに綺麗に整理整頓されていた。どうやって手を入れたのかは知らないが近代化されており非常に便利になっている。
 便利になっているのだが……。

「ねぇパチェ。ティーセットってどこにあるの?」
「…………」
「わ、分かったわよ! 一人で探すわよ!」

 ひとつひとつ棚を開いてようやくティーセットと茶葉を見つけた。これさえ見つければあとはお湯を沸かして淹れるだけだからこっちのものだ。
 さて、紅茶は軟水で淹れるのが一番私の好みに合ってるんだけど……。

「パチェ。軟水ってどうやって作るの?」
「……蛇口をひねれば出てくるわよ」
「あらそうなの」

 蛇口をひねってみると水が出てきた。これが本当に軟水かどうかは分からないが、パチェが言うんだから間違いないだろう。
 お湯を沸かしてる間に茶葉をポットの中に入れる。沢山入れた方がきっと美味しくなると思いポットの半分ぐらい茶葉で埋め尽くした。
 ポットの中に並々お湯を入れて、ついでにミルクと砂糖もありったけ混ぜておく。そして出来上がったロイヤルミルクティーをカップに注ぎ、口に運ぶ。ほのかなミルクの甘さと濃厚な茶葉が混じり合って……。

「……うぇー、にがー」

 あまりの渋さで飲めたものじゃなかった。水道水を飲んだ方がきっとましだ。
 ずっと昔に作った記憶はあるんだけど……何十年前の話だったっけか。もはや作り方なんてさっぱり頭の中から消え去っていた。

「……ねぇパチェ、やっぱり作って……」

 頼もうと食堂に戻ってみたら、もう親友の姿はそこになかった。
 まだポットになみなみと残った紅茶を前に、一人途方に暮れるしかなかった。


 ***


 仕方ないので紅茶を飲むのは諦めて、とりあえず着替えることにした。パチェに言われっぱなしにされるのもしゃくだから一人で出来ることをアピールしなければ。

「服を着替えるのぐらいひとりで出来るわよ。出来るはず……うん、きっと出来る」

 自分に言い聞かせているうちにだんだん不安になってきたが、ともあれ自分の部屋に戻ってみた。
 別に普段着ている服なんだから咲夜に手伝ってもらわなくても問題なんてあはずがない。
 意を決してクローゼットを開いた。そこに並んでいる服の中からお気に入りの一着を……。

「……あれ?」

 お気に入りどころか一着も洋服がなかった。
 そもそも毎日着替える服は咲夜が持ってきてくれるから私が用意することはほとんどない。とはいえ何着かはこの部屋のクローゼットに入れてたはずなのだが……少なくとも一年前には。

「洗濯でもしてるのかしら……それとももう必要ないと思って咲夜が入れてないのかしら……うーん」

 ともあれ、私にはパジャマから着替える手段が残っていなかった。
 この館のどこかに衣装部屋もあるはずだけど、咲夜がこの館をひろーく空間を拡張してくれてるおかげでその部屋がどこにあるのかさっぱり分からない。

「そんなぁー……」

 パチェが言ったとおりだ。
 咲夜がいなくっちゃ着替えることすらままならないじゃないか。


 ***


 そのまましばらく自分の部屋からぼんやりと窓の外を眺めていた。
 机の上で頬杖をついて、門の向こうからいつ彼女が帰ってくるのかと待ちこがれていた。
 部屋の中からでも目がちかちかするお日様の光は嫌いだけど、ここが一番見晴らしがいいのだから仕方ない。帰ってきたら一番に文句を言わないと気が済まないのだ。――こんなに勝手に私を一人にさせて。
 咲夜がいないのなら、どこかへ出かける気にもなれなかった。一緒について来てくれるのならこんな天気の良い日だから湖に妖精たちを冷やかしに行ってもいい。目的もない散歩だってきっと楽しい。一緒に来てくれなくても、彼女が帰りを待ってくれてるのならどんな一日だって楽しいだろう。
 でも今、彼女はいない。
 それはとても恐ろしいことのように思えた。帰ってきてもおかえりを言ってくれる人がいないのが怖かった。一緒にいられない時間が長くなって、それが現実のものになってしまうのが怖かった。一人きりじゃなかったとしても、そこに咲夜がいてくれないのが怖かった。
 それに何より――パジャマのままでかけるなんて、そんな恥ずかしいことできるわけがない。

「……ばか咲夜」

 机の上に突っ伏して、そんなもしもの世界を思い描いてみた。
 もしも、パチェが嘘をついていたとして、咲夜が二度と帰ってこなかったとして、そんな日々がずっと続くとしたら――
 答えが出るよりも早く、気付かないうちに私の意識は昼間のまどろみの中に落ちていった。


 目を覚ますと、肩に毛布がかけられていることに気付いた。
 まだ覚醒しきらない意識の中、その毛布の暖かみに気付いて、不安と期待を半分ずつに、彼女の名前を呼んでみた。

「……咲夜?」

 一瞬だけ、世界は静まり返る。

「呼びましたか、お嬢様?」

 そして私の背後から、声が生まれた。
 振り返ると、少しだけ申し訳なさそうにはみかにながら立っている咲夜の姿があった。……きっと私が起きるのを待っていてくれたのだろう。

「……すぐに帰るって言ったのに」
「申し訳ございません、お嬢様」

 深々と咲夜は頭を下げた。本当は謝る必要なんてないはずなのに、心から申し訳なさそうに。
 ……困った。もっと色々と言いたかった文句があったはずなのに、咲夜の顔を見たらなんにも出てこなくなってしまった。
 代わりに一言だけ、たった今思い浮かんだ言葉を口にした。

「……おかえり、咲夜」

 なんとなく気恥ずかしくって、咲夜の顔は見られなかったけど。

「……はい。ただいま帰りました」

 なんとなくその声色は、嬉しそうだった気がした。

「それで、どうしてこんなに遅くなったの?」
「ああ、それは市に行ったら面白いものが入ると聞いたので、ついその時間まで待ってしまいました」
「ふぅん、面白いものって?」
「お嬢様がお気に召されるか分からないですけど……」

 ごそごそと手に持っていた紙袋から取りだしたのは、手のひらに収まりきらないぐらい大きな貝殻だった。たぶん巻き貝なんかの貝殻だろう。確かに幻想郷で貝殻なんて珍しいけど……。

「……これが面白いもの?」
「はい。お嬢様、これを耳にあてていただけますか?」

 言われたとおりに貝殻の穴の部分に耳をあててみた。聞こえてくるのは、水のような音だった。水と水とがそよぐ音。湖が風を凪ぐ音のようにも聞こえるけど、もっと深い。そして、どこか懐かしい。

「……これは?」
「海の波の音です。……それっぽく聞こえるだけですけどね」

 ああ、海か。
 それは私にとってあまりにも懐かしい響きだった。

「幻想郷には海がありませんから。あったとしても、海の日差しと流れる水はお嬢様にはつらいでしょう? でもこれを耳に当てるだけでいつでも、この場所が、海になるんです」

 海。外の世界にあるはずの生命の海。そこから生まれて、そこに死んでいく。遠い昔にみた私とは無縁の場所。
 咲夜がそれを見たことがあるのかは知らない。けれどそれは、海は、外の世界からきた咲夜にとってとても大切なものなんだろう。
 たとえば、故郷のような。

「……お気に召しませんでしたか?」

 不安そうな、機嫌を伺うような声でそう尋ねてくる。
 だから私は微笑みながら、正直に答える。

「……いいえ、とっても素敵ね」

 ほっとしたように咲夜は笑った。

「お気に召していただけたようで何よりです。でしたら貝殻はこの部屋に――」
「ううん、いいの。その貝殻は貴女が持っていてくれない?」
「え、でも……」
「その代わり」

 今日の、こんな短い時間でも、自分がいかに咲夜に依存しているのかよく分かった気がする。
 その上でこんなお願いするのは、きっとおかしいことなんだろう。パチェが聞いたらきっと呆れたようにため息をつくに違いない。
 でもいいんだ。私はとってもわがままだから。

「私が海の音を聞きたくなったら、すぐに駆けつけてくれること」

 こんな贅沢なお願いでも、咲夜なら叶えてくれるんだから。
 咲夜はきょとんとしていたが、すぐにおかしそうに笑って、こくりと頷いてくれた。


 ***


 一人きり。夜の月の下。内緒のお散歩。
 咲夜はきっと今ぐっすりと眠っていることだろう。でも構わなかった。咲夜が館にいるだけで、待ってくれているだけで、私にはそれで十分なのだ。
 風の出ている夜だった。水面に映された満月は少しだけ揺らいで、波の音を奏でていた。
 今でもまだ耳の中に残っている。波の音。海の音。咲夜が持ってきてくれた音。
 きっとこんな日は、また繰り返し訪れるのだろう。一日中ずっと咲夜がついてくれているわけではない。その度に私は寂しくなったり、失敗したり、怒ったりするんだろう。
 そしてまた、その度に咲夜は謝ったり、慰めてくれたり、笑ったりしてくれるんだろう。
 なんて私はだだっ子なんだろう。なんて依存してるんだろう。でもそれもしょうがない。咲夜はなんでも叶えてくれるんだから。咲夜がそれを許してくれている限り、私はそれを願い続けるんだろう。
 こんな日々がいつまでも続くんだろうなと思うと、少しだけおかしくなった。こんな日々が明日も明後日も、来年も、その次も、ずっと続くのだ。十年後も、二十年後も、いつまでも永遠に。

















 咲夜は、人間なのに?

 一際強い風が湖を凪いだ。水面の満月はちりぢりになって星くずのように湖に散らばった。
 その抱いてしまった気持ちから目をそらすように、私は空に浮かんだ形ある満月へと眼差しを向けた。遠い世界にある、永遠に欠けることのない満月。
 水面に視線を戻した時には、満月の虚像はもとの姿に戻っていた。



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