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風邪をひいた女の子

 


「咲夜。貴女熱があるんじゃないの?」

 レミリアお嬢様のそんな些細な言葉を理解するのにも、数秒の時間を要してしまった。

「そんなことありませんよ。私はいたって健康体です」

 ようやく意味を理解してそう答える頃には、既にお嬢様の口から疲れたような息が零れていた。おそらくため息というものだろう。

「さっきから頬が赤いようだけど」
「お嬢様に見とれてしまったかもしれません」
「ふらついて、立っているのがやっとみたいじゃない」
「お嬢様の眼差しを受けてつい立ちくらみを」
「さっき出してくれた紅茶に砂糖じゃなくて塩が入ってた事については?」
「お嬢様と私の間にこれ以上の甘さは不要かと思いまして」

 自分でも何を言ってるのかさっぱりだった。
 お嬢様も私の答えを最初は面白がって聞いていたものの、よほど重症だと思ったのか諦めたように首を振って。

「今日はもう休みなさい。でないと怒るわよ」
「お嬢様に怒られてみるのも――」
「いいから」

 ぴしゃりと言い切られてしまった。

「時間を止めて眠るのもなしよ。ちゃんと休みなさい。貴女、自分が思ってる以上に参ってるわよ」
「ですが……」

 私は何かを言いかけたが、それを制するようにお嬢様の手のひらが私の額に触れた。
 身長差を埋めるべく、ちょこんと背伸びをして、めいっぱいに腕を伸ばしていた。お嬢様の手のひらは湧き水に浸したように冷たく、心地良くて。

「てい」

 あまりの気持ちよさに、身体が倒れるまで押されたことに気付かなかった。
 慌てて身を起こそうとしたが、身体が重く、立ち上がることが難しかった。ついでに息も苦しくて、節々が軋むように痛み、ぐわんぐわんと世界が回るようにめまいがする。

「呆れた。こんなになるまで自分の身体を放っておいたなんて」

 反論しようとしたけど、うまく呂律が回らない。自身の不調に気付かないようしていたのだが、たしかに自分で思ってる以上に参ってるみたいだった。

「ベッドでゆっくり眠りなさい。貴女には明日も明後日も瀟洒でいてもらわなきゃ困るんだから。今日は大人しく普通の女の子に戻りなさい」
「はい……申し訳ございません」

 迷惑をかけまいと思って平気なふりをしてたのに、逆に迷惑をかけてしまうなんて……。
 お嬢様に合わせる顔が無く、ついうなだれてしまう。
 そんな私を見てお嬢様は、まるで聞き分けのない子供をなだめるように頭をぽんぽんと撫でた。
 そしてお嬢様は私の膝下に手を入れると――

「へ……」

 抱きかかえるように、優しく身体を持ち上げた。
いわゆる、お姫様だっこの形で。

「ふぇ、あ、あのっ、お嬢様っ!」
「心配しないで。今日の貴女はただの女の子なんだから。素直に抱かれておきなさい」

 そ、そんなこと言われたって……。

 私の身体はかつてないほどに熱くなっていた。もちろんそれは風邪だとか、そういう理由じゃなくって、ただ恥ずかしくって。
 そういった私の羞恥する姿を気にすることなく、それよりも楽しむようにお嬢様は私を部屋へと運んでいった。
 抱きかかえられても目線の高さは変わらず、むしろ低くなるぐらいだった。お嬢様が抱くには私の身体は大きすぎたけど、まるでケーキを手に持つ程度にぺろりと持ち上げられてしまっている。
 お嬢様に抱っこされている私の姿を、時折通りすがる妖精メイドがちらりと振り返ることも多々あった。中にはその話を聞きつけて覗きに来る者もいた。その度に私は頬を赤くし身もだえしてしまう。

「気にしなくていいよ、咲夜」

 そんな私に、お嬢様は耳元で囁くように言った。温かい吐息が耳たぶにかかってひどくくすぐったい。

「で、でもメイド長としての威厳というものが……」
「だから、そんなこと気にしなくていいんだよ。皆にはあとで咲夜が風邪をひいたって伝えておくし、妖精たちだってこんなことぐらいで咲夜を見損なったりしない」

 ふと廊下の曲がり角からこっそりと私達の様子を覗き見ている妖精の姿が目に留まった。森に咲いた花を見るような眼差しでうっとりとしているのが見て取れる。

「見せつけてあげましょ?」

 私の目線の先に気付いたお嬢様は、いたずらっぽく笑った。そしておもむろに顔を近づけて。

 ぷにっと。
 頬と頬を重ね合わせた。

「ひゃ……っ!」

 お嬢様の頬はのぼせてしまった私の頬には冷たく、とろけるように柔らかい。プリンとかに頬をつけるとこんな感じになるんじゃないかと言うぐらいとびきりに甘ったるい感触だった。スプーンではとてもすくいきれないぐらいに。
 それを見ていた妖精は可愛いらしい小さな悲鳴をあげると、顔を真っ赤にして、美術館の奥に保管してある見てはいけない特別な絵を見てしまったかのようにそそくさと逃げ出した。

「これぐらいのことで声をあげるなんて、初々しいわね」

 お嬢様は頬をくっつけたままそんな事をつぶやいた。私かあの妖精か、どちらにも当てはまる言葉だった。
 それが恥ずかしくて、ちょっと悔しくって、お嬢様の顔を横目でちらと盗み見た。そうしてから、ようやく気付いた。

(……お嬢様も、頬赤い)

 見れば耳まで真っ赤にしていた。よく観察してみると、悟られないよう抑えているがいつもより少し息は熱く、緊張して身体がこわばっていた。何より――これは私のものかもしれないけど――心臓の音がこれ以上ないくらいどきどきと伝わってきた。
 こんなことするのは、お嬢様だって恥ずかしいんだろう。
 そして、こんな恥ずかしいことを、きっと私だけにしてくれている。
 そう考えると、めまいがした。これ以上ないってぐらい身体が熱くなった。オーブンで焼いたってこんなには温かくならない。
 くらくらとして意識を失わないよう、ぎゅっとお嬢様にしがみついた。そんなことを言い訳にして、ぎゅうっと。
 お嬢様も、恥ずかしがって何も言わなかった。



 そして――名残惜しいことだけれど、お嬢様と私は部屋に辿り着いてしまった。
 お嬢様は私を優しくベッドに横たわらせると、靴を脱がせてメイド服から寝間着に着替えさせた。たとえばそれは母親が子供の服を着替えさせるかのように、ぎこちなくも柔らかな手つきだった。

「お休みなさい、咲夜。また明日ね」

 お嬢様はそう言って、部屋から出て行こうとした。
 どこかよそよそしいその姿に、寂しさのような覚えた私は。
 自分でも気付かないうちに、手を伸ばしお嬢様の服の裾を掴んでいた。

「あ、あの……」

 喉の奥から零れたのは、あまりにもか細い声だった。指に力が入らなくって本当に引っ張ることが出来たかさえ不確かで。
 だがお嬢様は立ち止まってくれた。私の声を受け止めようとしてくれた。
 私が言いたかったのは、口に出すのも躊躇われるような恥ずかしい言葉だった。けれど私は、何度か自分の指先を見つめた後、思い切って口にしてみた。

「眠るまで、側にいてくれませんか?」

 お嬢様の瞳を見つめることが出来ず、目を伏したまま続ける。

「明日にはお嬢様のメイドに戻りますから……今日だけ、普通の女の子としてのお願いを、聞いてくれませんか?」

 私のあまり見せたことのない気弱な言葉に、お嬢様は少し驚いたようだった。
 言わなければよかったと恥ずかしくなり後悔する。だがお嬢様は目を細め、慈しむように微笑み、枕元に腰を下ろした。

「……うん。貴女がそうして欲しいのなら、いくらでもそうしてあげる」

 お嬢様は手のひらを私の手に添えた。冷たい手。けれどそれ以上の温もりが手のひらを通じて伝わってきた。

「何かお話する?」

 そんな感触を、くすぐったそうにはにかみながらお嬢様は尋ねてきた。
 でもそんな素敵な提案に私は首を振り、思ったことをそのままに甘えてみた。

「歌が、いいです」

 まるで聞き覚えのない言葉を耳にしたかのように、首を傾げた。

「歌?」
「そうです。……子守歌、とか」

 そこまで言ってようやく、ああ、と思い出したかのように呟いた。

「あんまり自信がないな」

 でも、貴女がそう言うなら。
 そう言ってお嬢様は歌を口ずさみ始めた。

 それは聴き覚えのない、遠い世界の歌だった。意味さえ分からない言葉が、音になりメロディーになり、この部屋の中だけに響き渡った。
 きっとその歌を私は生まれてから一度も聴いたことがない。だけど、その歌をどこか懐かしいとさえ感じてしまった。これまで私が暮らしてきたどの風景にも映り込んでいるような不思議な歌だった。
 言葉の意味は分からない。代わりに、伝えたいことは重ねられた手の平から伝わってきた。言葉では伝えきれない沢山の想いが言の葉の代わりに胸の奥へと運び込まれてきた。
 その歌を最後まで聴くことは、結局叶わなかった。歌が終わるよりも前に目蓋は閉じて、眠りが私を誘った。ずっと、いつまでも聴いていたいという想いに反して、明日というものはいつでも二人を待ち構えていた。

 明日になったら言おう。落ちていく意識の中で、今日の私はそんなことを思った。この歌の返事を聴かせてあげよう。普通の女の子である私はそれが叶うわけがないと知りながらそんなことを思った。



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