ヴワル魔法図書館



朝の図書館の音。

暖かな朝の日差しがカーテンの隙間から差し込んできています。
今日の目覚めはそれよりも少しだけ早く、私は絵本を読みながら新しい日差しをぼうっと眺めていました。
絵本の内容は外の世界からやってきたという、『人魚姫』。自分の声と引き換えに足を手に入れるけれど、結局王子様に気づかれること無く泡になってしまうという悲しいお話です。昨日は恥ずかしながらこれを読んでわんわん泣いてしまいました。
そんな私は今エプロンに着替えて埃を払うハタキを持ってマスクをしています。
何といっても今日は年に一度のヴワル魔法図書館大掃除の日なのですから。


今日こそは一番乗りしようと図書館へ行くと、そこでは既にパチュリーさまがご本を読んでいました。
ちょっとだけガックリしてしまいます。……一日中ご本を読んでるんじゃないかと疑いたくなってしまいますが、とりあえず朝のご挨拶をすることにしました。
「おはようございます!パチュリーさま!!」
私に気づいたパチュリー様は、少しだけ視線をこちらに向けると、そのままの姿勢でお返事を返してくれました。
「おはよう。今日は早いのね、こぁ。……それもそんな格好で」
エプロンとマスクの姿に、呆れたような目をしながら。
「はいっ!なんていっても今日は大掃除の日ですから!!」
「別にあなたは手伝わなくても大丈夫よ」
「はい!……って、ふえぇ?」
パチュリー様は本をめくりながら私の変な声に答えました。
「今日は咲夜達が手伝ってくれるって言うから。私が指示だけしておけば、あとは妖精メイド達が……ってどうして落ち込んでるのよ」
「うう……だって今日のために張り切ってきたんですから。せっかくパチュリーさまのお役に立てると……」
いつも迷惑ばっかりかけてるから、今日ぐらいはお返しをしてあげたい。
そう思って眠たい目をごしごしとこすりながら、せっかく早起きしたのに……。
すると私の気持ちを汲み取ってくださったのか、パチュリーさまは一つ小さなため息をついた後。
「そうね、たしかに妖精だけに任せるのは荷が重いかもしれないし、あなたにも手伝ってもらおうかしら」
少しだけ嬉しそうに、微笑んでくださいました。


とはいっても私一人でこの大きな図書館を掃除できるわけではないので、妖精さんたちと一緒のお仕事になります。
作業の手順は大まかに分けて三つの手順。
1、必要な本と、一度読んでしばらくはいらない本とで分けます。
2、いらない本をメイド長の所に運んで空間の広い部屋に運んでもらいます。
3、必要な本に保存の魔法をかけて本棚にならべていきます。
と内容だけで見れば簡単なのですが、何しろ紅魔館の中でも特別に広い図書館。簡単に終わるわけがありません。
更には妖精さんたちが勝手に本を読み出してしまったりするので、それを叱らなければいけないのです。西で図鑑を眺めている妖精を見つけてはコラッと怒り、東で危険な魔道書を開こうとしている妖精を見つけてはダメでしょ!と叱りつけ、見つけた絵本をこっそりと読んでる姿をパチュリーさまに見つけられてはこつんとご本で小突かれたり。
そんな風にしていたら、作業の半分も終わらないうちにお昼ご飯の時間になってしまいました。


お昼は図書館の机をどけて、シーツを敷いた上に皆で座ってピクニック気分です。
メニューはメイド長お手製のサンドウィッチが妖精たちの分を含め山盛りにされていました。一緒に片付けていたというのにいつの間に作ったのか不思議でなりません。
「たまにはこういうのも良いわね」
いつの間に来たのやら、お嬢さまは中央の席を陣取ってひょいとその一つを摘んで口の中に頬張りました。
「お屋敷の中と言えども、たまにはこういった刺激も必要ですからね」
お嬢さまに紅茶を注ぎながら、なおもメイド長は世話しなく働いていました。
「ほ、本当に私もいただいちゃっていいのでしょうか?」
サンドウィッチに目を輝かせているのは、紅魔館の屋敷の中で見るのは珍しい門番さん。
「ええ、その代わりお昼が終わったらキビキビ働いてもらうから覚悟しておきなさい」
「はい咲夜さん!いただきます!!」
妖精さんたちとも普段は食事を一緒にすることも無いのですが、今回はみんな一緒に食べていました。普段とは違う場所で、普段とは違う環境で食べるお昼ご飯を皆楽しんでいます。
「少し五月蝿いぐらいね」
パチュリーさまが隅っこの方でサンドウィッチを咥えながら言いました。
「はい。でも、たまにはこういう賑やかなのも良いんじゃないですか?」
私がそう聞くと、ティーカップを大事そうに口に付けた後、ぽつりと呟くように。
「……ええ、たまにはね」


お昼ご飯が終わると大掃除を再開しました。
お嬢様は食事が終わっても図書館で皆の働きっぷりを面白そうに見ていました。手伝ってくれる気配はまったくありませんでしたが、お嬢様がいるからかサボる妖精さんの姿もあまり見かけません。
門番さんも私たちには無い身体能力を使っていっぺんに大量の本を運んでくれて大助かり。ただ一度調子に乗って本を運んでる最中に転んでしまいメイド長に怒られたのはナイショの話です。
午後からは順調に作業が進み、日が暮れる前にはほとんど仕事は無くなってしまいました。既にやることを終えたパチュリーさまは、片付け終わった本棚の近くで本を読んでいられました。
私も大体のことは終わってしまったので、パチュリーさまに紅茶を淹れて差し上げました。
「紅茶が入りましたよ」
「ありがと。……こぁもお疲れ様」
「いえいえ、私なんかお役に立てただけでも満足ですから……」
えへへ、と照れ笑いを浮かべていたその時。
いつの間に忍び込んだのか、いつもの白黒の魔法使いの姿が本棚の向こう側に見えました。
「よお、なんだか大変そうだな。門番どころか屋敷の中にも誰もいないから何事かと思ったぜ」
「また魔理沙か……。掃除したばっかりなんだから、今日は盗っていくのやめなさい」
パチュリーさまは本を閉じると、魔理沙さんの方に向き直りました。
「だから何度も言ってるだろ、借りてるだけだって。きちんと私が死んだら返すよ」
「死んだら返しになんてこれないじゃない」
「その時ぐらい外出して取りに来たって罰は当たらないだろうに……。それにほら、その証拠に今日は本を返しに来たんだぜ」
そう言うと白黒さんはごそごそとスカートのポケットらしき物の中から――どうやったらそれが入るのかは私にはさっぱり分からないのですが――風呂敷に包まれた本が何冊か出てきました。
「……何のつもり?」
訝しげにパチュリーさまはその風呂敷を受け取ると、恐る恐る包みを開きました。
するとそこに入っていた本は……。
「あー、私の絵本だ!」
それはすっかり無くしたとばかり思っていた、私がもらった絵本でした。
「なんだ、小悪魔のだったのか。通りでこういう本をパチュリーが読むなんておかしいと思ったぜ」
「……それで、いらない本だったから私に返しに来た、と」
返された本を手に取りながらパチュリーさまは呆れたようにため息を一つ。
しかしそんなことおかまいなしとばかりに白黒さんは堂々と笑っていました。
「まあ一度読んでみたからいらない本っていうのは確かだけどな」
白黒さんは机の上に広げられた絵本の中から、一冊を手に取りました。
本の名前は『シンデレラ』。
「でも……」
遠くに聞こえる小さな音。
静かな魔法図書館に、屈託の無い素直な声が響きました。
「絵本っていうのも、悪くないものだぜ」
パチュリーさまはそんな言葉が来るとは思いもしていなかったのか、何も言い返すことなく白黒さんの顔をじっと見つめていました。
白黒さんは返したことで満足したのか、箒にまたがり空中に浮かびました。
「じゃあな、次来るときはまた本を借りに来るぜー!」
そしてそのまま振り返ることなく、白黒の魔法使いさんは図書館を出て行きました。

パチュリーさまは誰もいなくなったその場所を眺めていました。
呆然としていたのは少しだけ。私が声をかけようとすると、パチュリーさまはくすりと笑いだしました。
「結局、本は持っていくんじゃない」
夜が訪れるよりも、ほんのちょっと前の出来事。
図書館に残ったその音は、しばらくの間こだましてそこに在り続けました。
「ねぇ、こぁ」
ひとしきり笑い終えた後、パチュリーさまは私に背中を向けたまま声をかけました。
「……なんでしょうか」
後姿から表情ををうかがうことはできませんし、声色もいつもと変わりません。
「もし良かったら、私に面白い絵本を紹介してくれないかしら?」
けれどきっと、パチュリーさまはいつもよりも楽しそうな笑みを浮かべているのだろうと思いました。
「……はいっ!!」



月が昇るころにはヴワル魔法図書館の掃除は終わりました。
この日ばかりは皆くたくたになって早めに寝りにつきます。いつもは本を読んで眠るのが遅くなるパチュリーさまも、この日ばかりはすぐに眠ってしまいました。
そんな紅魔館の夜、私は誰もいなくなった図書館で絵本を選んでいました。
どんな絵本だったらパチュリーさまに喜んでもらえるのか、どの絵本ならパチュリーさまにも面白いと思ってもらえるのか。そんなことを考えていると眠れなかったのです。
とりあえずパチュリーさまに読んでもらいたい絵本は一冊だけ決まっていました。
けれどまだまだ素晴らしい絵本はいっぱいあります。魔道書ではかなわないけど、絵本ならパチュリーさまより物知りなんですから。

月が昇り朝が来るまで、図書館では楽しそうな音が鳴り響いていました。



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