×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

幸子日和



 梅雨も明けちょっとずつ暑くなり始めた初夏の頃。事務所でプロデュースしている今売り出し中のアイドル、輿水幸子と買い物に来ていた。
 というのも、たまの休日だというのに朝早く起きてしまい二度寝を決め込もうとした時に突然幸子から電話がかかってきたのだ。
 幸子はいつも通りの口調で。

「プ ロデューサーさん、起きてましたか? いえお願いがあってですね。……あの、今日プロデューサーさんも休みなんですよね? この後何か用事とかあったりし ない……そ、そうですよね、プロデューサーさんに休日の予定なんであるわけないですもんね! そんな寂しいプロデューサーさんの為にボクの買い物に付き合 わせてあげますよ! ボクの荷物持ちが出来るんだから光栄に思ってくださいね! ……ああちょっと寝ようとしないでください! いいですか、十時ですよ!  十時に駅前のカフェで待ってますからね!」

 なんて言うものだから、仕方なく着替えてやって来たのだった。……まあ幸子の言う通り休みの予定なんてないし、アイドルのモチベーション管理も仕事みたいなものだ。今日一日幸子の為に費やしてやるのも悪くないだろう。
 指定された時間の十分前に駅前の有名チェーン店のカフェについた。中では既に幸子がカバーのついた文庫本を読みながら席で待っていて、俺の姿に気付くと本を閉じて近づいてきた。

「遅いですよ、プロデューサーさん」
「遅いって……まだ九時五十分だぞ」
「約束の時間の三十分前には待ってるものですよ。……でもまあプロデューサーさんの気が利かないのはいつものことですもんね。遅れなかっただけ良しとしましょう」

 着いていきなりの言いようだったが、どことなく嬉しそうでもあったので怒るに怒れなかった。

「それより……なにか言うことないですか?」

 そう言うと幸子はスカートの端を摘み何やらアピールしてきた。ここまでされればいくら鈍感だといわれる俺でも服に関して言って欲しいというのは分かるぞ。
 改めて幸子の服を見返してみる。白くフリルになっているワンピースは今までに見たことの無いもので、服とセットなのか室内だというのに縁の広い帽子を被ったままだ。
 着る人を選びそうなお嬢様チックな服装だったが幸子はまるで当たり前のように着こなし、清楚な雰囲気を存分に醸し出している。
 ……ふむ。

「そんな服持ってたっけか?」

 ずるっと見事にずっこける幸子。今度バラエティの仕事を持ってきてもいいかもしれないなぁとか考えてたらちょっと涙目になって幸子が怒りだした。

「そうじゃないですよ! いや確かに新しく買ったんですけど……もっと他に言うことがあるんじゃないですか!?」
「えっ、あ、ああっそういうことか。に、似合ってるぞ」

 ようやく何と言って欲しいのか分かりそれを言葉にすると、幸子はやや不満そうにしながらも納得してくれたようだった。

「……まあ、いいでしょう。ボクが着るんだから似合ってて当たり前ですけどね。ふふーん、光栄に思ってくださいね。わざわざ今日の日の為に新調した服なんですから」
「……ん、今日の為にって、俺の為にか?」

 何となく聞き返してみると、幸子は一瞬固まったと思いきやみるみるうちに顔を赤く染めていき。

「そ、そんなわけないじゃないですか! 買い物の為にですよ! ボクがプロデューサーさんに褒めて貰いたいから新しい服を買ったみたいに言わないでください!」
「わ、悪かったって。自意識過剰だったよ、幸子が俺の為に何かするわけないもんな」

 一気にまくし立てるものだから慌てて謝った。しかし何が悪かったのか幸子は幸子で「……分かればいいんですよ」と言ったもののちょっぴり拗ねてしまった。
 ……しかし、こうしてみると改めて思ってしまう。

「でもそういう服着た幸子もやっぱり可愛いな」

 アイドルとして大事なのはもちろん見た目だけではないが、やっぱりビジュアルというのは重要な要素の一つでもある。そういう面でもやはり幸子はトップアイドルとしての素質は十分……。
 などと将来のアイドルとしての展望に思いを巡らせていると、きょとんとした表情で幸子はこちらを見つめていて……目が合うと慌てて背を向けてしまった。

「ぼ、ボクが可愛いなんてそんなの当たり前です! ……ほら、早く行きますよ!」

 そのまま背を向けて幸子は店から出て行ってしまった。
 ほんのりと、僅かに耳を赤らめたままで。



 そんなやりとりの末、ようやく買い物が始まったわけだが……。

「これください!」
「あ、これも可愛いですねぇ」
「この服ボクに似合うと思いませんか?」

 かれこれ二時間あまり、ずっとこんなペースで幸子は洋服を買い続けていた。
 荷物を持つのはもちろん俺の仕事。既に両手に持った紙袋の数は十を超えており、腕の疲労はピークに達していた。

「な、なあ……そろそろ休まないか? 昼も食べてないわけだしさ」

 何店目かの店を出たところで俺はそう持ちかけた。

「もう疲れたんですか? だらしないですね」
「そう言ってくれるなよ……俺だって幸子ほど若くないんだからさ」
「年の差なんか……関係ないですよ、そんなの」

 なんだかむっとし出してしまったので、慌てて話題の方向を変えることにした。

「というか、普通服の買い物とかって女の子同士で行くものじゃないのか。幸子だってたまの休みなんだから友達とかと遊べばいいのに」
「ああ、もちろんお誘いはありましたよ。でも断ってプロデューサーさんと買い物に来てあげてるんですからね」
「断ったって、そりゃまたなんで」
「だってプロデューサーさんと一緒じゃなきゃ……えっと、荷物持たせる人がいないじゃないですか。ボクの荷物持ちが出来るなんて名誉なことなんですからね。自慢してもいいですよ!」

 途中口ごもりながらも、最後まで幸子はそう言い切った。うん、ここまで言われれば文句もないよ……。
 でも俺が本当にちょっと疲れてるのが幸子にも分かったのか、ようやく向こうから折れてくれた。

「……まあでもボクもおなか空いてきましたし。いいですね、お昼ご飯にしましょうか。それでどこに連れて行ってくれるんですか?」
「んー、丁度目の前にあるし、ハンバーガーにするか」
「女の子との食事をファストフードで済ませようとするなんて本当ダメダメですね。でもプロデューサーさんが奢ってくれるんでしたら何処でもいいですよ」

 なんだかんだでついてきてくれるんだから、好意的に解釈しとこう。



 店内は混雑していたので、幸子をベンチで待たせて外で食べることになった。
 帰ってきたら遅いとぶーたれられたものの、買ってきたハンバーガーを渡すと途端に機嫌が戻ってくれた。この辺は扱いやすくてありがたい。
 
「んじゃ食べるか……隣座るぞ」
「あ、どうぞ……ふ、ふふーん。こんなに可愛いボクと隣に並んで食べられるだなんてプロデューサーさんは幸せ者ですね!」

 許しを得たので隣に座って食べることにする。うん、日当たりも良いので外で食べると格段に美味い。
 ふと隣を見てみると、ぎこちなさげにちまちまとフィッシュバーガーを食べていた。慣れてない様子を見ると本当にジャンクフードは食べ慣れてないのかもしれないな。
 すると俺の視線に気付いたのか、幸子はちょっと恥ずかしそうに。

「なに女の子の食べてる姿見てるんですか。本当デリカシー無いですね」
「そういうのをちゃんと気にする子はこんな所にソースなんて付けないと思うんだけどな」

 そう言いながら幸子の口元についていたソースを指でぬぐってやった。拭く物も無かったので指についたソースは仕方なく舐めておく。

「そ、そういうのはさり気なくやってくれるものですよ……ってああ!」

 するとその動作を見ていた幸子が何やら悲鳴をあげた。

「ん……どうかしたか?」
「い、いやその……舐め……」

 言われてから、今更ながらこのソースが一度幸子の口元についたものだったなと思い直した。

「ああ汚かったか? でも別に幸子のなんだから大丈夫だろ」
「にゃっ……! ……ふ、ふふん。ぼ、ボクって可愛いですもんね。だからプロデューサーさんも犬みたいに舐めたくなっちゃうんですよねそうですよね……」

 何やらぶつぶつと呟きながら、精一杯何かを誤魔化すかのように黙々とハンバーガーを食べていた。
 上品にちまちまと食べてるよりそっちの方が年相応らしくて、なんだか可愛らしい。
 そうして間もなく二人とも食べ終わりほんの少し息をつくと、幸子はベンチから立ち上がり俺に向けて言った。

「……さ、食べ終わったことですし。また買い物に出かけましょうか」
「えっ、もう行くのか?」
「当たり前ですよ。せっかくの休みなんですしこのままベンチでぼうっとしてても仕方ないじゃないですか」

 流石は中学生。まだまだこんなものでは遊び足りないらしい。
 まあ、今日は一日幸子に付き合うと決めたんだし、こうなったらとことん付き合ってやるか。

「せめて労いの言葉でも欲しいものだけどな」
「何言ってるんですか、ボクの買い物に付き合えるだなんてご褒美ですよ! むしろプロデューサーさんから感謝して欲しいくらいです」
「ああ……そうだよな、それでこそ幸子だよ……」

 思わずため息をつきながらそう言うと、幸子は一瞬だけ曖昧な表情をした後……ふと隣にあった店の方へと目を向けていた。

「プロデューサーさん。ちょっとここで待ってて貰えますか?」
「別にいいけど……どうかしたのか?」
「いやだなぁ、女の子にそういうこと聞くなんて失礼ですよ」

 ああ、トイ……お花摘みか。物を食べたあとだもんな。
 幸子はそう言うと何やらこそこそとした足取りで隣の紳士服店に入っていった。何やってるか目で追うのも無粋だし、言われたとおりここで待ってるか。
 と、ベンチに腰掛けた途端に電話がかかってきた。
 着信元を見ると社長からで……なんとなく、嫌な予感がした。

「はい。どうかしましたか……え、書類が出来てない? ちょ、ちょっと待ってください。今すぐファックスで送りますから!」

 聞くと昨日提出の書類が不都合で届いてないとのことだった。幸い持ってきていた鞄の中に入っていたので問題はないが、今すぐ送らないと不味いことに……。

「……すぐに戻ってくれば、大丈夫だよな」

 コンビニはすぐ近くにあるから、上手くいけば幸子が戻ってくる前に送れるはず。そう判断した俺は荷物を持ってコンビニまで急いだ。

 そして結論から言えば、それは間違いだった。
 コピー機が混んでいたせいで、予想してたよりずっと時間がかかってしまったのだ。
 走って戻ってくるとベンチには既に幸子の姿があり、遠目で見ても分かるほどに暗い表情で待ち続けていた。

「すまん幸子! 仕事でコンビニに行っててそれで……」

 開口一番頭を下げて謝り倒す。
 てっきり罵声の一つでも浴びせかけてくるかと思ったが……予想に反して、幸子はスカートの端を握りしめながら。

「……勝手に、いなくならないでください」

 小さな声を震わせて、そう言った。
 その声色は怒っているというよりもむしろ怖がっているようですらあり、こんなしおらしい幸子を見るのは初めてだった。

「本当にごめんな。……ほ、ほら買い物行こう。荷物持つからさ……」

 戸惑ってしまった俺はろくな言葉も浮かばないながらもなんとかフォローしようと努め、この悪い流れを断ち切ろうと荷物を持ち上げると――くい、と何やら引っ張られる感触がした。
 振り返ると幸子がスーツの裾をちょこんと掴んで、何も言わずにこくりと頷くだけで。
 その瞳にはいつもの自信に満ちあふれた輝きはなく……そんな幸子を前に俺は何と言っていいのか分からず、言ったとおりに店を回ることしかできなかった。



 その後も幸子の調子は相変わらずだった。
 店に入ってもあまり服を見ようともせず、ずっと俺の裾を掴んだまま後ろをついてくるばかり。
 俺を罵ったりすることすらなく、むしろ「疲れてませんか?」とか「荷物、持ちましょうか?」などとこちらを気遣うことばかり言ってくる。
 嬉しいかどうかで言えば、嬉しい。プロデューサーである俺を気遣ってくれたことなんて今までほとんど無かったんだから、嬉しくないはずがない。
 確かに嬉しいけれど……こんなの幸子らしくない。
 何より今日は幸子の為の日なんだから、幸子が楽しんでくれなかったら何の意味もない。

「……あのさ、幸子」

 人通りの少ない脇道に入った時。意を決して、未だ後ろについてくるばかりの幸子に向き直った。

「な、なんですかプロデューサー……さん」

 突然話しかけられて驚いたのか、びくっと反応する幸子。怖がらせてしまったかと躊躇ったが、ここで引くわけにはいかない。

「勝手にどこかに行って悪かった。今すぐ許してくれなくってもいい。……だけど、どうして怒ってるのか理由だけでも教えてくれないか? このままだと俺、ずっと幸子に間違ったことし続けてしまいそうなんだ」

 我ながらみっともない言葉だった。目の前にいる、自分がプロデュースしている女の子の事なのに、その気持ちが分からないだなんて。
 でも今の俺に出来るのはそれだけだった。幸子の本当の気持ちを聞く。しゃべってくれないのなら……また自分で考えてどうにかするしかない。だけど、せっかくの幸子の休日なのにこのまま暗い気持ちで帰らせるのだけは嫌だった。
 幸子は迷っているようだった。何度か口を開いては閉じて、長い間ずっと言葉を選んで。
 やがて幸子は帽子を目深に被り直し、意を決したかのように言葉を紡いだ。

「……プロデューサーさんの方こそ、怒ってたりしないんですか?」

 それは、思ってもみない言葉だった。

「……俺が、か?」

 躊躇しながらそう聞くと、幸子はこくりと頷いてぽつぽつと話し始めた。

「戻っ たとき、プロデューサーさんがいなくなってたとき……ボク、プロデューサーさんが怒って帰っちゃったんだと思ったんです。ずっと荷物持たせてたし、なのに お礼も言えなかったし。今日誘ったのだって、無理矢理呼び出して付き合ってもらったのに……生意気なことばっかり言って……」

 帽子を深く被っていたから、表情は見えない。

「プロデューサーさんが戻ってきてくれた時、ボクすっごく嬉しかったんです。でも、やっぱりお礼言えなくって。それで、気付いちゃったんです。……いっつも優しくして貰ってるのに、ボク、プロデューサーさんに、何も返せて無いんだって……」

 でもそっちの方が良かった。きっと顔が見えていたら、彼女の言葉を最後まで聞く事なんて出来なかっただろうから。

「ごめんなさい……せっかくのプロデューサーさんのお休みなのに、台無しにしちゃってごめんなさい。こんなボクで、ごめんなさい……」

 肩を震わせながらか細い声でそう訴えかける幸子を前に……改めて思った。
 俺は、プロデューサー失格だ。
 自分の担当しているアイドルが――まだ十四歳の女の子が、こんなにも思い詰めるまで気付いてあげられなかっただなんて。

「……ごめんな、幸子」

 その小さな肩に手を乗せて言った。
 膝をついて。同じ目線に合わせて。

「どう、して、あなたが……」
「いや違う。ちゃんと言ってあげられなかった俺が悪いんだ。……俺が、どれだけ幸子のことを大事に思ってるかって」

 目元から零れるそれを、指でそっと拭ってあげる。決して壊れてしまわないように優しく。

「初めて幸子に出会った時――こんなこと言ったら幸子は怒るかもしれないけど、変な子だなって思ったんだ。初対面の人に自分のことをカワイイなんて言ってくる子は初めてだったからさ」

 その時のことを思い出して、思わず笑ってしまう。「ボクがカワイイって証明するの手伝って下さいね!」なんて小生意気なこと言われてやる気にならないプロデューサーが、果たしているんだろうか。

「で もさ、同時に思ったんだ。この子はアイドルになれるのかって。……幸子が可愛くないって言ってるわけじゃないよ。そこら辺のアイドルと見比べたって幸子は 絶対に見劣りしない。それは俺が保証する。……でも、だからこそ不安だったんだ。本物のアイドルという壁にぶつかった時、幸子は立ち上がれるのかって」

 アイドルの世界は、見た目だけで乗り越えられるものではない。
 勿論可愛さというのは強力な武器だ。でもそれだけじゃ足りない。歌唱力、演技力、ありとあらゆるものがトップアイドルというものには求められる。
 そこには運だって必要だ。いくら実力があっても世間から求められず挫折していったアイドルは沢山いる。そういったすべての要素を兼ね備えて、本物の資質を持ったほんの一握りの女の子だけがトップアイドルになれるのだ。
 そして、新人がトップアイドルを目指すのなら、そんな才能を持った彼女らに打ち勝たなければならない。

「トップアイドルを目指していけば、いつかは必ず壁にぶつかる。そうなったら幸子のその他の子にない自信は――アイドルとしての個性が折れてしまうんじゃないかって。心配してたんだ。……だけど」

 だけど、輿水幸子という少女は違った。

「幸子は挫けなかった。どんなに負けたって、どんなに惨めな思いをしたって、いつだって見栄張って、わかりやすい意地張って、頑張って、努力して、そして最後には、その壁を乗り越えてきた。……俺が思ってたよりも、ずっと強い子だった」

 そんな子だったからこそ、俺は心から思ったのだ。
 幸子をトップアイドルにしようと。彼女に負けないぐらい努力して、この子を本物のアイドルにしてあげようと。

「だ から、俺はもう幸子から十分すぎるぐらいのものを貰ってるんだ。返しても返しきれないぐらい大切なものを。だから……遠慮なんてつまらないことするな。好 きなだけワガママ言ってくれ。俺が叶えてやる。そして証明してやるから――幸子が、世界で一番可愛いんだってことを」

 幸子は、それに何も答えてはくれず。

「……プロデューサーさん」

 ただ一言だけ呟いて。

「五秒だけ、胸貸して下さい」

 俺の胸に抱きついてきた。
 とても強い力で抱きしめられた。痛くはないけれど、これが少女の全力なのだと容易に分かるほど強い力で。
 幸子は何も言わなかった。何も言わず俺の胸に顔を押し当てて、ただじっとしていた。
 彼女に抱き締められるには、五秒という時間はあまりに長く。
 彼女の体温が伝わり、その温もりが俺の頬にまで伝染した頃。

「……ふふっ、プロデューサーさんドキドキしてますよ。もしかしてボクに抱きつかれて緊張しちゃったんですか?」

 胸に顔を埋められたまま、小生意気な声が聞こえてきた。

「なっ、お、お前……!」
「ボクみたいなカワイイ女の子にくっつかれたんだから当たり前ですよね。あーあ、ボクの可愛さって罪だなぁ。プロデューサーさんみたいな大人の人までドキドキさせちゃうだなんて」

 ぱっと跳ねるように俺から離れた幸子は、そのまま抱きついた拍子に地面に転がった帽子を拾って手で砂を払った。まるでたった今のことなんて何も無かったかのように自然な動きで。
 もしかしてからかわれたのかとすら思った時。幸子は、その帽子を被りなおしながら俺に向き直って。

「……でも、嬉しかったです」

 まるでどこにでもいる少女のように屈託のない笑顔を浮かべて、言った。

「すっごく嬉しかったですから。今日のこと、きっと忘れません」



 夕暮れ時。
 買い物を終えて、二人で少しだけ公園に寄り道していた。繁華街の近くだというのに少しだけ小高い場所にあり、街全体が一望出来る景色の良い公園だった。

「うーん、今日はいっぱい買い物しましたねぇ」

 あの後、湿っぽい雰囲気の中帰るのも躊躇われたので、結局買い物を続行することになった。
 勿論荷物を持って歩くのはプロデューサーの仕事だ。くたくたになるまでこき使われたが……不思議と不快感は無く、気持ちの良い疲労感で満たされていた。

「しかしこれで明日からも仕事か……休んだ気はしないな」
「何言ってるんですか。こんなにカワイイボクと買い物出来たんですよ? もっと満足そうにしてください」

 そんな物言いに、思わず笑ってしまった。勿論呆れからくる笑いなどではなく、いつも通りの幸子に戻ってくれた事への喜びだった。

「なにニヤついてるんですか。……でも、最後まで付き合ってくれたことですし。その、ご褒美、あげてもいいですよ」

 すると幸子は、いつになく歯切れ悪くそう言った。

「お、なんかくれるのか?」
「はい。ですから……そこのベンチ、座って下さい」

 言われたとおりに指さされたベンチに座る。俺が座ると、立ったままでいる幸子と丁度目線が同じ高さになるぐらいになった。
 何のことか分からないままでいると、幸子は俺の目の前まで回ってきて。

「その……目、瞑ってください」

 少し恥じらうような仕草を見せながら、そう言った。
 いつもより距離が近く。口を開けば吐息が頬に触れるぐらい間近に幸子は迫ってきていた。ご褒美という言葉と、このシチュエーションから連想される行為は……。

「……いやあの、幸子さん……?」
「目を閉じて下さい」
「そ、それはちょっとアイドルとして……」
「いいから早くしてください」

 常日頃から命令され慣れてるからか、反射的に目を閉じてしまう。断固として抵抗すべきだったと気付くには、一瞬だけ遅く。
 そっと首に手を回される。すんと、汗と女の子の香りが鼻に届く。
 一瞬の空白の後、ぎこちない所作のまま幸子は俺のネクタイを解いて――

「……目、開けても良いですよ」

 言われるがままにまぶたを開くと……そこには、俺の首元には新しいネクタイが拙い結び目で結ばれていた。
 何をされているのか気付いたのは幸子がネクタイを結ぶのに苦戦している最中のことで……いやそうだよな。幸子がそんなことするわけないもんな……。

「キスされるとでも、思っちゃったんですか?」

 あまりに核心を突いたことを言われたので、思わずぎょっとのけぞってしまう。

「そ、そういうこと言ってからかうな!」
「ふふっ、目瞑ってた時のプロデューサーさんの顔、ぷるぷるしてて可愛かったですよ。でも女子中学生にキスされそうになって顔真っ赤にしちゃうなんてプロデューサーさんは本当ヘンタイですね! まあそんな期待させてしまうボクのカワイさがいけないんですけど!」

 上機嫌にぺらぺらと喋るのは、からかっているのか、あるいは照れ隠しなのか。夕陽が赤く染まっているせいで見分けがつかなかった。

「……これ、プレゼント、ってことでいいのか?」
「あっ……はい。首輪でも良かったんですけど、首輪じゃずっと付けてるわけにいかないですからね。プロデューサーさんにはいつでもつけてて貰って……その、ボクの所有物だって見せつけたいですから、あの、選びました」

 途端にたどたどしくなった幸子を尻目に、首に巻かれたネクタイを手にとって眺める。いつ買ったのかと考えを巡らせると……そうか幸子が一人になった時かとすぐに思い至った。
 ああなんだ、ちゃんとあの時から俺のこと考えてくれてたんじゃないか。

「ありがとう、大事にするよ」
「……誰かに物をあげるのなんてプロデューサーさんが初めてなんですからね。光栄に思って下さい」
「ああ、幸子からのプレゼントだもんな。……でもこの結び方は下手すぎるんじゃないか?」

 上下の長さが合ってない結んだだけのネクタイを見せると、ばつが悪そうに眉をしかめた。

「し、仕方ないじゃないですか。他の人のネクタイを結ぶのって難しかったんですから! ……そんなに言うんだったら、プロデューサーさんで毎日練習させてくださいね」
「うっ……やぶへびだったか。いいけど、人を遊び道具みたいに思うなよ」
「何言ってるんですか、あなたはボクのオモチャに決まってるじゃないですか」

 いつも通りの自信過剰な語り口に思わず苦笑いしてしまう。
 だが不快なわけじゃない。それが信頼されてる証拠なんだって分かるから、むしろ心地良いくらいだった。

「……こんなこと言うからって、今更見捨ててなんてあげないんですからね。だって――」

 だから、これから先もずっと幸子と一緒にいるんだろう。
 この関係であり続ける限り、きっといつまでも。彼女がトップアイドルになるその日まで。


「ボクのプロデューサーは、あなたしかいないんですから」



【戻る】