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仙人と猫又少女
 


 仙人であると、妖怪から狙われることが多くなる。


 何故なら、仙人の身体は妖怪にとって大好物なのだ。それは単に美味というだけでなく、修行を積んだ人間である仙人を喰らえば妖怪としての格が上がるという側面もある。より強くなる為に仙人を狙う妖怪も多い。
 死神だけでなく、妖怪からも普通の人間以上に狙われる身である仙人。故に片時も油断することなく気を張り巡らせ、いついかなる時でも襲撃に対処できるようしなければならない。
 ならない、のだけれど……その、誰しも油断する一時というのはあるもので、いやそもそも世俗から身を切り離すことを目的とした瞑想中はむしろ周りで何が起ころうと気にしてはいけないわけですし……。


 つまり私はその日、思いっきり不意打ちを食らってしまった。

 がぶりと、文字通り食らいつかれて。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っい!」

 予想もしなかった痛みと、首筋にするどい歯が突き刺さったことが相成って、みっともなくも私は生娘のような悲鳴をあげてしまった。

「ふにゃー!」

 だが噛み付いた方の驚きはそれを上回るものだったらしく、大きな声をあげると近くの岩場に隠れてしまったようだった。
 幸い首筋に牙の痕が残る程度で傷と呼ぶほどにはならなかった。
 けど……場所を考えずに瞑想に耽るのはやめた方が良さそうね……この間も人間とぶつかったりしたことですし……。

「それはそうと……」

 くるり、と身を隠した者の方を向き直る。
 てっきり逃げ出したかと思っていたが、どうやら彼女は大きな岩の隅からおずおずとこちらの様子を伺っているようだった。
 えーっと、なんでしょうねあれは……猫又?
 とりあえずこのままにらみ合っていても仕方がないので、はっぱをかけてみることにした。

「そこの妖怪、悪いことは言わないから姿を現しなさい。ここからでもその岩を消し飛ばすことぐらいは出来るのよ」

 そう脅してみると、猫又は怖々と岩の陰から出てきた。身なりは猫又らしいが、まだ妖怪になってからそれほどの歳月を経ていないようで、耳としっぽを除けばあどけない人間の少女のようにも見えた。
 少女は私のことを恐れつつもまだ敵意は残っているようで、うなり声をあげながらおずおずと私に近付いてきた。

「や、やい仙人!」
「私は茨歌仙といいます。貴女は?」
「ふにゃ! え、えっと……橙」

 その名前には心当たりがあった。確か八雲の式神でそんな名前の猫又がいたはず……。

「って自己紹介なんてしてる場合じゃない! か、覚悟!」

 穏便に済ませたかったのだけれど、どうやら彼女の方はそうもいかないらしい。
 長い爪を伸ばすと、彼女は颯爽と周囲を駆けた。幼いとはいえれっきとした妖怪。その脚力は人間とは比べものにならず、俊敏な動きで攪乱させようとしてきた。
 だが……。

「速さは悪くないですが、動きが少し単調ですよ。もう少し相手のパターンを崩すように動かないと」

 近付いてきた所で腕を捕まえ、衝撃で怪我をさせないように身体ごと受け止める。
 当の彼女はあまりに突然の出来事にぽかんとしていたが、どうやら自分が破れたことは理解したようだった。

「は、放せぇ!」
「放したらまた襲いかかってくるでしょ。……それで橙。貴女は何故私を食べようとしたのですか?」
「ど、どうしてそれを!」

 いやだって……歯形ついてますし……。
 橙はひとしきり悩むような仕草を見せた後、びくびくとしながら言葉を連ねた。

「えっと……あ、あなた、仙人なんでしょ?」
「……そう、ですね」

 私が肯定すると、キッと気を引き締めるような目つきで強く見つめてきた。

「藍さまが言ってたの。仙人を食べれば今よりもっと強くなれるって」

 なるほど、主人から教わったのか。通りで幼い妖怪の身で仙人について知ってるのかと合点がいった。
 ただ、その主人はそれを聞いた式神がどのような行動をとるのかという事と、仙人の恐ろしさについて教え忘れたようだ。

「そしたら丁度あなたが道ばたで寝てたから、ちょっとだけ食べちゃおうって思って……」

 そう納得しかけた所に、納得してはならない言葉が聞こえてきた。

「……待ちなさい。私は寝てたわけではありませんよ?」
「にゃ? だって目を閉じてぼうっとしてたよ?」
「それは瞑想といって、生を受けてからこれまでのことを思い返したりする修行でして……」
「でも、涎垂れてたよ?」
「……その時は、美味しい物を食べた時のことを思い出してたのかもしれません」

 そ、そうに決まってる。いくら最近疲れていたからといって瞑想しながらうたた寝なんてそんなはずない……ですもの。うん。

「と、とにかく。仙人が気を緩んでいる姿を見つけても迂闊に手を出したりしたらいけませんよ。私はともかく、妖怪退治を生業としていた仙人だったら返り討ちなんてことにもなりかねませんから」

 私が彼女に対して懸念したのはその事だった。
 真っ当な仙人であれば、自らを喰らおうとした妖怪を生かしておくことはまずない。逃げ切れる程度の実力を持つ妖怪ならまだしも、幼い猫又程度ではよっぽど修行不足な仙人でない限りは簡単にやられてしまうだろう。
 いくら妖怪とはいえ――それもまだ幼い妖怪が危険に晒されるというのは、流石に放っておけることではない。
 彼女も先程の為す術も無く負けたことを思い出したのか、しゅんとうな垂れてしまった。

「だ、だけど……」

 だが彼女は、それでも思う所があるようだった。
 彼女は少しの間、躊躇うように悩んでいたが……やがて、切々とその考えを語り始めた。

「私、いつまで経っても弱いし、猫たちも言うこと聞いてくれないし……」

 その願いは、あまりにも幼い子供が抱く想いそのもので。

「このままじゃ、いつまで経っても藍さまのお役に立てないもん……」

 あまりに、主人を想う優しさに満ちあふれた言葉だった。
 瞳を潤ませながら語る彼女の頭に、ぽんと左の手を乗せる。
 初めはその手に驚いたようだったが、敵意が無いことを悟るとおずおずと顔を上げてくれた。

「……仙人を喰らうことは、決して強くなる近道ではありませんよ」

 私は、その無垢なままの瞳を見つめながら一つ一つ言葉を選び、ゆっくりとお説教をしてみせた。

「仙人の肉を喰らえば、確かに妖怪としての格は上がるでしょう。ですがそれは仙人の犯した業をも背負うということです。貴女が真摯な気持ちで大切な人の役に立つ力を望むのなら、やはり日々の努力によって得なければ意味がないのです」

 少女は、私が望んだよりも遙かに純真な心で言葉を受け止めてくれた。

「でも……」

 だがそれでも。
 それでも橙は、目の前にあるすぐに強くなれる『近道』への欲を捨てきれないようだった。
 そんな子供らしい想いを可愛らしいと苦笑しながら……私はある決意をした。

「……そこまで言うのであれば、仕方ありませんね」

 彼女の頭に乗せていた手を離し、私は――そのまま、道ばたに寝転がってみせた。

「……ふにゃ?」
「ここまで私の話を聞いてくれたお礼です。……どうぞ、私のことを召し上がってください」
「にゃ!?」

 私の言葉は彼女にとって思いもよらないものだったのか、橙は目をまん丸くして口をぽかんと開いていた。

「私も仙人として長く生きた身です。私を喰らえば、貴女にも九を越える尾が生えることでしょう。……あまり褒められた生き方をしてきたわけではありませんが、きっと貴女の力になるはずです」

 実際、彼女にこのまま喰われてしまってもいいとさえ思っていた。私も人より少しばかり長く生きすぎた身だ。これで若い命の力となるというのも、また悪いことではないだろう。
 目を閉じ寝そべっていても、彼女が躊躇う姿を容易に察することが出来た。困った表情を浮かべながら近付いたり遠ざかったり、口を開いたり引っ込めたり。
 そんなやりとりがどれだけ重ねられた頃か。やがて彼女は――

「……ごめんなさい」

 寝転がっていた私に向けて、深く頭を下げた。

「間違ってたって、気付きました。人のものを奪ってまで自分が幸せになっちゃいけないって、藍さま言ってたもん」

 身を起こし、少女の方を見やる。その顔に表れているのは、言葉だけではなく心からの反省の色だった。
 なるほど、この娘の主人は間違った教えを与えてきたわけじゃないようだ。
 なら私に出来るのも、彼女の背中を押してやることだけ。

「貴女はまだ子供なのですから、頑張って背伸びする必要なんてないのですよ。修行を怠らなければ、必ずそれに見合った成長があるはずです。回り道に見えるようなことであっても、その方が得るものは大きいのですから」
「……わ、私も藍さまみたいになれますか?」
「ええ。きっとね」

 ぱあぁ、と花が咲くような笑顔を浮かべてくれた。

「ありがとうございます! 私、頑張って居眠りします!」
「や、だからあれは瞑想といって……いや子供にとって睡眠は必要なことなのですが……」

 うむむ、やっぱり今度から人に見つかりにくい場所で瞑想することにしましょう……。

「……ふふ、まあいいでしょう。ところでもう日が暮れそうですが、お家の方は心配しませんか?」
「あっ、もう晩ご飯の時間! 帰らなくっちゃ!」

 とてとてと日の沈む方に駆けてゆく少女。姿が見えなくなるより前に、くるりとこちらの方に向き直り。

「ばいばい仙人さま! また遊んでね!」

 とても嬉しそうな微笑みで、手を振ってくれた。
 手を振り返すと、満足げに微笑み夕暮れ道を去っていった。
 一方の私は姿が見えなくなり、影さえ無くなっても、彼女が去っていった方をぼうっと見つめていた。

「遊んで、ですか……」

 懐かしいその響きに、名残惜しさで上げ続けていた左手をじっと見つめて。

「長く生きることも、また回り道なのかもしれませんね」

 そんなことを思ってしまった自分がおかしくて、気付けばくすりと微笑んでいた。
 


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