昴とキャッチボールと
「なあ、プロデューサー! 時間あるならキャッチボールしようぜ!」
永吉昴はそう言いながら、ねだるように俺の服の袖を引っ張っていた。
「いや確かに今日は仕事ないから時間はあるけど……ボールとグローブが無いだろ?」
「ちゃんと持ってきてるって、ほら」
昴は鞄の中から野球ボールと左利き用のグローブを取り出して見せてきた。……アイドルの仕事には全く関係ないはずなのになんで持ってきてるんだ。
「でも俺のグローブが無いからなぁ」
「それもさっき事務所に置いてあったの見つけたんだ。誰のか分からないけど使っても平気だろ?」
「何故アイドル事務所にグローブが……」
「というかさっきから文句ばっかり言って……そんなにオレとキャッチボールしたくないっていうのか?」
そう尋ねてきた昴の表情は不満そうであり、僅かに不安そうでもあった。もちろん昴とキャッチボールしたくないってわけじゃないんだけど……。
「やりたくないわけじゃないんだが……最近デスクワークばっかりだから昴についていけるか不安でさ」
「なーんだ、そういうわけか」
正直に言うと、昴はほっとしたように満面の笑顔を浮かべて。
「でもプロデューサーの仕事も体が資本なんだろ? なまった体を鍛え直すってことで一緒にキャッチボールしようぜ!」
……こんな風に誘われて断れる男がいるんだろうか。
「……そうだな。じゃあ劇場近くの公園にでも行くか」
「うん! ……へへっ、プロデューサーも分かってるじゃん!」
そう答えると昴は嬉しそうに飛び跳ねて道具を用意し始めた。
まあこんだけ嬉しそうな昴の顔を見られるんだったら、たまのキャッチボールも悪くないか。
***
永吉昴は最近うちの事務所に所属したアイドルだ。
親に少しは女の子らしくなれと言われてアイドルになりに来たという変わり者だけど、本人にも女の子らしくなってみたいという意識はあるようで現在絶賛女の子らしくなる為の勉強中だ。
とはいっても、女の子らしいと言えるようになるにはまだ時間がかかりそうではあるけど。
公園での昴は事務所にいる時より活き活きとしていた。
ピンクと水色のスタジャンにショートパンツという健康的な服装は女の子らしさとはほど遠いけど、昴が着るとあまりにも似合っていたので何も言うことはなかった。
趣味が野球と言うだけのことはあり、投げる姿はなかなか様になっている。……というより俺よりよっぽど上手いものだから俺がボールを落とすことの方が多いくらいだ。
なんて考えてるそばから昴の投げたボールをこぼしてしまった。
「あ、プロデューサーなにやってんだよー!」
「仕方ないだろ、スーツに革靴だから動くのきついんだって」
残念ながら着替えは用意してなかったので、上着だけ脱いでのキャッチボールである。
ついでに言えば日頃の運動不足がたたって早くもバテ始めていた。……確かにたまに昴に付き合って運動した方がいいのかもな。
「しょうがないなー、じゃあ一回だけキャッチャーやってみてよ」
「キャッチャーの方が難しくないか?」
「大丈夫だって。グローブ構えてるだけで捕れるよう投げるからさ。オレコントロールは良い方なんだぜ」
とりあえず、言われた通りに腰を下ろしてグローブを構えてみる。昴は満足そうに頷くと、セットポジションをとってボールを握った。
そして振りかぶって投げた――と思った時には、すでに俺のグローブの中に球が収まっていた。
「おー、たいしたもんだな」
「だろー? 小学校の頃なんてオレに投げさせたら打てるやつなんていなかったんだからな」
野球のことで褒められたのが嬉しかったのか昴は子供みたいな笑顔を浮かべる。
「そうだ。オレ、スライダー投げられるんだぜ? ちょっと見てみてよ」
「おうっ」
投げ返したボールを受け取ると、昴は再びセットポジションから投げた。さっきの球と違って外に曲がっていく球だったのであやうく取りこぼすところだったが、なんとかキャッチできた。
「うわ、えらい曲がったな。……これがスライダーか」
「へっへー。でもプロデューサーもよく捕れたな。絶対落としちゃうと思ったのに」
けどスライダーの出来とは反対に、昴はため息をつきながら残念そうに呟いた。
「あーあ、オレが男だったらなー。今頃四番でマウンドに立ってるってのに」
「……まあな。左利きでこれだけのスライダー投げられたらどこ行ってもエースだろうな」
なんだかんだいっても昴は女の子だ。高校に入れば硬式野球は続けられないし、体格差も出てきてる年頃だからこんな風に投げる機会も少なくなってるんだろう。最近あんまり野球も出来てないって愚痴ってたっけ。
立ち上がって普通のキャッチボールに戻りながら話を続けた。ボールと一緒に言葉を交わしながら、一球一球ゆっくりと。
「でも選手だけがマウンドに立てるわけじゃないだろ? アイドル続けてれば昴も始球式とか出られるようになるぞきっと」
「始球式かー! いいな、憧れてたんだよ! ねえねえ、オレも始球式とか出られるようになるかな?」
「もちろん。もっと頑張って、一人前のアイドルになれればな」
「……一人前のアイドル、かぁ」
ボールを投げ返そうとしたけれど、不意に思い悩むような面持ちを浮かべて俯いている昴が目に留まった。
「どうかしたか?」
「……あのさプロデューサー。やっぱり普通の女の子って、休みだからって野球やったりしないよね?」
「まあ、そうかもな」
「だよなぁ……オレ、女の子の気持ちってよく分かんないよ」
ボールを受け取る表情にもさっきみたいな元気はなく、どこか沈んだ様子だった。
「昔は一緒に野球やってた女の子もいたんだけど、みんないつの間にか服とか雑誌とかの話ばっかになっちゃってさ。でもオレガサツだから話合わないし、恋の話とかされても変に緊張しちゃうから……結局男友達とばっかりつるむようになっちゃったんだよな」
「その分男友達は多いんだろ?」
「うん。だけど……」
昴は力なくボールを放りながら、言葉を続ける。
そのボールを落とさないようにしっかりと受け止めながら、耳を傾けた。
「そいつらも最近付き合い悪くってさ。なーんかよそよそしいんだよな。野球にもあんまり誘ってくれなくなったし、のけ者にされてる感じがしてさ。だから女の子らしくなって見返してやろうってアイドル目指してみたんだけど……」
今までため込んでいたものをはき出したのか、昴は大きくため息をついて。
「女の子らしくって、難しいな。……オレ、本当にアイドルになんかなれるのかな?」
そんなことを言い出したもんだから、つい吹き出してしまった。
すると昴は馬鹿にされたと勘違いしたのか、恥ずかしそうに怒り出した。
「な、なんで笑うんだよー!」
「わるいわるい……いやな、女の子らしさはともかく男子が昴に素っ気ない理由は分かる気がしてさ」
「えっ……ほ、本当に?」
「ああ。俺だって昔は昴ぐらいの年頃の男の子だったわけだしな」
聞きたいような、聞きたくないような。不安げな表情で昴は答えが返ってくるのを待っていた。
だから俺はそんな不安を笑い飛ばすように、ボールと一緒に返事を投げ返す。
「それはきっと、昴が可愛いからだって」
ポロっと、初めて昴はボールを取り損なった。
けれどそんなこと気にする余裕すら無いようで、頬を赤く染めたまま動揺している。なんとなくそんな様子が子犬みたいで可愛らしかった。
「ななな、なに冗談言ってんだよ! か、可愛いって、もっと柔らかくってふわふわしてて……とにかくもっと女の子らしい娘のこと言うんだろ!」
「冗談なんかじゃないよ。昴はちゃんとした可愛い女の子だって。ちょっと野球が好きなだけのな」
こんな風に褒められ慣れてないのか、遠くから見てもはっきり分かるほどにあたふたしている。
そんな昴の姿に苦笑しながら、ゆっくりと近づいて行く。一歩一歩、ボールを投げる必要なんてないぐらいの距離まで。
「きっとその男子も、いつも友達みたいに思ってた昴が急に可愛い女の子だって気付いたもんだから素直になれないんだろうな。思春期だし、そういうのって仕方ないことだと思うぞ」
「で、でも……もっと可愛い女の子なんていっぱいいるし……」
「そりゃあどこの世界いったってそうだよ。上を見ればきりがないさ。昴より可愛いアイドルだっている。歌が上手いアイドルだって沢山いる。だけどこんな見事なスライダーを投げられるアイドルなんて、俺は一人しか知らないぞ」
落としたボールを拾い上げてから、ぽんと、昴の頭に手を乗せる。
くすぐったそうな、むずがゆそうな表情を浮かべる昴に向かって語りかけるように言った。
「だから他の子と比べないで、昴らしいアイドルを目指していけばいいんだよ。そうすればきっと昴の良さを分かってくれるファンだってきっと出来るさ」
「……そうかな?」
「もちろん。たとえば、俺とかな」
昴は上目遣いに、じっと見上げていた。何かを言いたそうに口を開いて――そして、心からおかしそうに笑い出した。
「へへ。プロデューサーって、すけこましだな」
「……それって褒めてるのか?」
「んー、どっちも」
その笑顔には、さっきまでの憂いなんてちっとも無くって。
「うん。オレ、頑張るよ。プロデューサーと一緒に、いつかトップアイドルになってみせるから」
そんな姿を見て安心した俺は、頭に乗せた手を離してボールを手渡した。
「よーし、それじゃあキャッチボールの続きでもするか」
「お、まだまだいける?」
「昴に負けてられないからな。俺も今日はとことんまで付き合うぞ」
そう言うと、昴は嬉しそうに遠くまで駆けていった。さっきまでと同じように、キャッチボールを続けるために。
だけど、昴は途中で一度だけ振り返って。
「そうだ。アイドルになる為にはさ、具体的な目標があった方がいいだろ?」
「そりゃあ、もちろんな」
「だったら――」
ちょっぴり恥ずかしそうに頬を赤らめて――どんな女の子よりも女の子らしい雰囲気で、口を開いた。
「プロデューサーってどんな子がタイプなんだ? 今後の参考にしようと思ってさ」
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