一度だけ舌なめずり、悪魔が君を見て笑う。



 幻想郷には当たり前のように妖怪が出没する。
 人里のとある若者は話半分に噂を聞いた。




『近頃、人里近くに現れては人間を喰ってしまうという妖怪が騒ぎを起こしている』




 だけど自分はきっと喰われないだろう。何の根拠もないが。危機感のない若者はそう思った。
 ある丑三つ時。
 若者は大工であった。その日は何故か工具が壊れたり、建物が崩れたりしたために仕事が終わるころにはすっかり深夜になってしまった。

「……すっかり遅くなってしまった」

 若者は桃燈を持ち、田んぼ沿いを歩いて帰路を進む。夜風が身体を心から冷やす。
 桃燈の灯りを頼りに、足下に注意しながら足を進めていく。
 今日は疲れた。帰ったらそのまま寝てしまおう。
 そんなことを考えながら、少しのまどろみと共に帰り道を歩んでいると、道中に何かが落ちているではないか。
 近づいてみるとそれは人影で、何者かが倒れている。
 灯りを近づけて確認してみると清麗な顔立ちの少年だった。まるで吸い込まれてしまいそうな瞳に、一瞬心臓を握りつぶされたかのような気分になる。一目見ただけでもわかる、魔性の魅力を持つ少年だった。

「こんな夜分に……家出か何かか?」

 息はしており、怪我はないようだ。おそらく腹を空かせて倒れてしまったのだろう。

「ほら、起きろ」

 身体を揺すって起こしてやろうとするが、少年は目を閉じて倒れたままだ。

「……起きないか。そういえばこの辺りに人喰い妖怪が出るという噂があったな……」

 ふと以前どこかで聞いた妖怪の噂を思い出す。噂は信じていないが、このまま道中で倒れていたままだと盗賊に、ましてや人喰い妖怪に襲われるかもしれない。

「仕方ない」

 そう思った若者は、持ち前の優しさもあり少年を背負って再び帰路につくのであった。




 ★★★★★




「帰ったらすぐに寝るはずだったのに……厄介なことになったかもな」

 若者の家は長屋の一室であり、お世辞にもお金持ちとは言えない、寂れた長屋だ。
 自分の寝床に行き倒れた少年を寝かしつけて、若者は粥を作るための準備をする。粥ならば倒れた少年でも食べられるだろう。
 少年に背を向け、米を用意していると背後から物音がした。少年が目覚めたのかもしれない。

「おお、目覚めたのか」

 だが振り返ると、誰もいない。寝床に少年がいた形跡もない。最初から何もなかったかのようになっている。
 おかしい。
 嫌な予感がした瞬間、肩に何かがのしかかる。

「お兄さん、優しいんだね」
「なっ……!」

 耳元に凛とした少年特有の声が聞こえてきた。
 気配がしないと思ったら、少年は若者に肩から抱きついて甘えてくる。

「起きていたのか? 身体の具合は……」

 若者が心配して何か言葉をかけようとするが、

「お兄さんはどうして僕のことを助けてくれたの?」

 少年は自由気ままに自分の思ったことを口にする。

「そりゃ道ばたに少年がいたら助けるだろう」
「へえ、立派だね」
「人として当然のことだ」

 肩の手をどけて、少年のほうを見る。
 少年は少し変わった服装をしている。黒い着物を着ており、パッと見ると男にも女にも見える。先ほどの状態が嘘のように弱っている様子はなく、元気といった感じで若者を見つめる。
 その瞳は綺麗だが、何を考えているかわからないくらい漆黒に淀んでいた。
 まさに、正体不明の少年だ。

「僕のこと、心配してくれたんだ」
「まぁ、そうだな。それに近頃この辺りに妖怪が出るそうだからな。俺は信じていないがな」

 信じていない、と言うと少年は首をかしげて不思議そうな顔をする。

「何で信じてないの? 妖怪がいるのは幻想郷じゃ当たり前のことでしょ?」
「妖怪がいるのはわかる。だがな、人喰いなんて物騒なことをする妖怪はめったに聞かない。いたとしたら博麗の巫女が退治してるはずだからな」
「ふ〜ん。甘いんだね、お兄さん」

 せせら笑うように少年は若者の顎を手の平で持ち上げる。

「ふふ、お兄さん……僕と遊ぼうよ」
「な、何を」
「僕を助けてくれた優しいお兄さんへのお礼だよ」

 若者は少年に抵抗しようとしたが、何故か身体に力が入らない。それどころか、この少年のなすがままだ。
 寝床に押し倒され、少年が覆い被さるようなポジションで衣服を脱ぎ出す。

「ふふ……僕の裸体、綺麗でしょ? きっとお兄さん好みの肌じゃないかな」
「あ……あああ……」

 全身に力が入らないため、呻くことしか出来ない。
 確かに少年が晒した肌は、ましてや少年は若者の理想のタイプであった。華奢で繊細で、惚れ惚れしてしまう。
 だが、少年だ。年端もいかない。しかも男だ。そっちの気はない。
 しかし抵抗しようにもどうすることも出来ない。

「ふふ……」

 少年は身体の自由が効かない若者の袴に手を入れる。
 痴漢のように片手を動かし、やがて若者の秘部に手が触れる。

「んあぁっ……」
「ほら、僕の指……気持ちいいでしょ?」

 見た目の若さに反して、指先のテクニックは相当熟練されているらしく、的確に若者が気持ちいい部分を責め立てる。
 人差し指と中指が、尿道付近を何度も摩擦する。小指で竿の根本をくすぐられ、親指で陰嚢を刺激される。若者の我慢汁で少年の手の平が汚れていくのがわかる。
 チュクチュクと鳴る卑猥な音だけが部屋にこだまする。

「お兄さんのアソコ……大きくなってきたよ? 同性に陰部を弄られて気持ち良くなるのって最高でしょ?」
「くぅっ……はぁっ……」

 あざ笑いながら股間を手で責める少年の言葉など聞こえていないらしく、ひたすら吐息を漏らして感じる若者。突然の出来事に頭の中が真っ白になってしまっていた。
 何も、考えられない。

「ここは喜んでるのに……どうして抵抗しようとするの?」

 少年は不満そうな声をあげながらますます卑猥な手つきで肉棒を弄ぶ。
 だが若者には快楽よりも罪悪感や背徳感のほうが強かった。こんなことをしてはいけないという常識や理性が歯止めをかけている。

「快楽に堕ちちゃえばいいのに……んっ」
「あぁっ……? ん……ちゅる、れろっ……」

 不意に少年の舌がねじ込まれる。若者は突然の出来事に何もすることが出来ずに、ただただねじれ込まれるべろを受け入れた。
 唾液が流し込まれてくる。美味しい。少年の唾液は何故かとても美味しく感じられて、味わうたびに多幸感に襲われる。

「気持ちいいこと……しよ?」
「あぁ……ああぁ……」

 真っ黒な瞳が若者の瞳を捉える。
 吸い込まれる。深淵に、深淵に。
 我を忘れて、深淵に。

「ほら、僕と交わろう……? 僕の存在が証明されるくらい、激しく」

 少年は若者の陰茎を露出させる。騎乗位の体勢でまたがり、小ぶりな尻で隆起した陰茎に降りていく。

「んぅ……挿入されていくよ……?」
「うぅんっ……くぅっ……」
「ふふ、感じてるんだ。嬉しいな」

 柔らかな、だが確かに狭い尻穴に肉の棒が突き刺さっていく。灼き付くような感覚に少年は微笑む。
 若者は何も考えられなくなっている。ただ、気持ちいいということだけを頼りに身体を揺らす。

「ちょっとキツイかも……お兄さんのココ、大きいからさ」

 舌なめずりをし、若者を見下す少年。
 ゆっくりと、ゆっくりと繊細な腰を上下運動させる。ニチニチと出たり入ったりを繰り返す陰茎が腸液で淫靡に照り出す。

「ほら、出していいんだよ? 男に精を吸い取られる快感を……覚えちゃいなよ」
「うっ……ウウッ!」

 少年の思うがままに、若者は言われたとおりに尿道から白濁を放出させる。言葉通り精気が抜けたかのような体感と共に快楽が脳を痺れさせる。
 精液を全て解き放たれたのを確認すると、少年は腰を浮かせて陰茎を菊門からひり出すように抜く。

「はぁ……ごちそうさま。どう? お兄さん、気持ち良かったでしょ?」
「ふぅっ……ふぅっ……」

 呼吸が整わない。若者の身体にドッと疲れが走った。魂まで吸われたかのような感覚。
 だが、少年の魔性の性は確かに心が覚えている。
 同性だということも忘れ、また味わいたいと考えてしまっている。一回の性交だったはずなのに、快楽は一生分の性交に等しかった。
 また、また交わりたい。
 この見ず知らずの少年に心を奪われてしまった。誰かもわからない、名前もわからない少年に若者の心は虜になってしまった。
 自分が何をしているのかもわからない。ただ、目の前の少年のことしか……性交のことしか考えられない。
 この日から若者は少年と暮らし、狂っていくことになるのだった。




 ★★★★★




「すっかり僕の肉体の虜になってしまったね」
「あぁ……そうだな」

 毎晩毎晩、若者は狂ったように少年と性を交える。
 日に日に生気を吸われているかのような感覚すら心地よい。若者がやつれていくのに対して、少年は会う回数をかさねるたびに肌つやが良くなっていく。
 村のみんなから「あの少年と離れたほうがいい。このままだと死んでしまう」と言われたが、若者はまったく聞く耳を持たなかった。

「少年……愛している……」

 今日も若者と少年は交わろうとしていた。
 裸体のまま、寝床で自分の陰茎を擦って自慰をしている少年に寄り添う。性欲が強いところも魅力のひとつだと考える。
 フラフラとしながら若者は少年にのしかかろうとする。
 瞬く間だった。

「なっ……」

 若者の目に映ったのは奇妙な形の羽を生やした少年の姿だった。淫靡な外見は変わらないが、確かに人の物ではないモノが背中から生えていた。
 しかし、寸秒のことだ。
 目に映った姿は錯覚のように、何事もなかったかのように元の姿に戻った。いや、戻ったというよりも最初から羽など生えていなかった。
 きっと幻覚だったのだろう、そう思いたい。
 だが、初対面のときのことや自分がやつれていることを考えると、何かがオカシイ。少年に捕らわれていた若者の心に疑心が生まれる。

「お前、何者なんだ……?」

 意を決して若者は少年に問う。
 質問された少年は表情一つ変えない。

「さぁ、何者か自分でもわからない鵺かもしれないね」

 冗談交じりに若者に答えてやる。

「鵺……?」

 鵺とは正体不明の妖である。定まっていない姿で人を惑わし、自分の手で慌てふためく姿を見てケタケタ笑う厄介な妖。
 確かに少年が鵺といわれても、何一つ疑問はない。むしろ惑わされた若者にとっては必然といってもいい。それほど納得出来る答えだ。

「ふふ、いいじゃないかそんなこと」

 冗談かもしれない。
 真実かもしれない。

「僕が何者でもさ」

 少年はじっと若者の瞳を見つめる。深く深く染まった黒。黒点の中心に取り込まれていくような感覚。
 何も考えなくていい、疑わなくていい。ただ少年に愛を注げばいい。

「ねぇ、遊ぼうよ」

 脳内に響くかのように、耳に少年の声が流れ込んでくる。
 若者は思考することをやめた。少年のために生きる人形となってしまった。性倒錯に溺れて、精神を終わらせてしまった。

「遊ぼうよ」

 そうだ、遊ぼう。何も思わずに。余計なことは一切忘れて。
 抗いたくても抗えない現実があるのなら、拐かされて死んでしまおう。

「死ぬまで、死んでも、死を選んでもさ」

 死ぬまで、死んでも、死を選ぼう。




 ★★★★★




「どうして……どうして……!」

 だが、現実は非情だ。

「どうして私の前から姿を消した! 愛していたのに! もう引き返せないのに!」

 若者は身体を震わせて、部屋の寝床で呆然とする。
 少年が消えた。身を捧げようと誓って数日、死を誓って数日。少年が最初からいなかったかのように消えてしまった。
 村中を駆け回り少年を捜したが、どこにもいなかった。それどころか村人の誰もが少年のことを覚えていなかった。誰もが元から存在していないかのように少年のことを喋る。あり得ない事態に怒りを露わにする。

「どうして私を狂わせた!」

 怒りは消えてしまった少年にぶつけられる。
 もはや若者は少年がいないとどうすることも出来ない身体になってしまっていたのだ。覚醒剤のように、少年がいないと拒絶反応が起きてしまうような体質になってしまった。
 少年の瞳が若者の人生を殺したのだ。

「嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ッ!」

 絶叫する若者。室内にこだまする雄叫び。
 だが、反応はない。ましてや叫んだところで少年は帰ってこない。

「あああぁあああぁああぁっ!」

 死を誓って、逃げられた。裏切られた。
 切ない現実を受け入れることが出来ない若者は発狂し、部屋中を転がり回って悶え苦しむ。
 どうして私の前から消えたのだ、と何度も思考を反芻させる。
 若者を待っているのは苦々しい死。少年に精気を抜かれて衰弱しきった身体が元に戻ることはないだろう。
 それがわかっているからこそ、若者はさらに気が触れてしまう。待っているのは少年の瞳のように黒く沈んだ死の世界。遠くない終わりに向かって抵抗する術はない。
 だからこそ叫ぶ。抗うように叫ぶ。
 若者は虚空に向かって咆哮するのであった。




 ★★★★★




「お兄さん、人喰い妖怪っていうのは何も物理的に人を喰うわけじゃないんだよ」

 深夜、丑三つ時。
 少年は遠くの木陰から長屋を見つめている。

「性別も元の姿も、何もかも正体不明の僕が出来たことは……人を性的に喰うことだったんだ」

 呟いたあと、背中から奇妙な羽を生やす。
 それは若者が見た羽。妖怪……鵺の羽。

「人を狂わせるのは楽しいなぁ。イタズラは楽しいなぁ」

 少年、封獣ぬえは妖怪である。自分の正体は定まっていない。性別すらも定まっていない。女だった、はずだ。だけど今は男だ。これから女になるかもしれないし、男のままかもしれない。

「嗚呼、人を騙すのは素晴らしい」

 正体不明の妖怪は、自らのもどかしさのあまり人をからかう。
 たまたまその正体があの若者で、男同士の性倒錯に溺れた。それだけのこと。きまぐれなイタズラ。気まぐれで若者から離れた。
 こうしてぬえは自身の存在意義を再認識する。自分に関わって狂う人間を見てイデオロギーを形成する。
 ぬえ自身は気がついていないが、ぬえもまた人間に依存していたのだった。

「あははははは」

 発狂している男の姿を見て、ぬえは笑う。天使のような美貌を持ち、悪魔のような微笑みで笑う。
 何故なら彼はイタズラ好きの鵺なのだから。人を騙すのは素晴らしい。封獣ぬえは、ケタケタ笑う。

「あははははははははっ」

 人喰い妖怪は、ケタケタ笑う。



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