ジェラシープリンセス漆黒



「勇儀、私のこと……好き?」
「……さぁな」
「そんなこと言わないで」
「よくわからない」
「私は勇儀のことが好き」
「パルスィ……」
「勇儀、お願い。私のことを好きになって」
「……さぁな」
「苦しいよ……勇儀……」



 ★★★★★★★★★★★★★★★



「勇儀ッ!」

 もっともたちの悪い悪夢にうなされた私は、ベッドから飛び跳ねるように起き上がる。
 暗いゴシックテイストの部屋。ここは私――水橋パルスィの自室。

「夢……」

 胸が締め付けられるように苦しい。心が軋んでいる。嫌な夢を見てしまったからだ。

「ああもうっ! 何で私がこんなに悩まなきゃいけないのよ!」

 息を切らしながら枕を壁に投げつける。苛立つ気持ちが止まらない。寝汗でシーツが湿っている。

「勇儀……勇儀……!」

 夢にも出てきた想い人の名を呼ぶ。私には秘められた恋心があった。私、水橋パルスィは星熊勇儀に恋をしている。
 どうしようもなく好きで好きでたまらない。嫉妬で生きていた妖怪の私に初めて心からぶつかってきてくれた鬼、勇儀。嫉妬まみれの私の心に一筋の光を照らしてくれた存在。
 片思いである。不毛な恋かもしれないと思う。だけど、私は初めて他人を好きになった。だけど。
 だけど、そんな勇儀のことで私はとても悩まされていた。そのためにこうして悪夢まで見てしまった。勇儀に恋心が届かない、すれ違いの悪夢。

「――あの鬼が! 私と勇儀の間を裂いたのよ!」

 あの鬼。
 それは私が見てしまった、見てはいけない密会。知らなくてよかったタブー。私が悪夢にうなされたのには理由がある。私と勇儀の間に現れた鬼。悩みの種。それは少し時をさかのぼることになるのだが……。



 ★★★★★★★★★★★★★★★



「え?」
「すまない、パルスィ。今日はやっぱり遊べない」

 今日は私と勇儀と旧地獄街道で遊ぶ約束……いわゆるデートの日。勇儀と一分一秒の時間を大切にしたい私にとっての、大切な大切な共用の時間。

「そ、それってどういうことよ!」
「ちょっとな。用事があってな。ごめんな」

 私が聞きただそうとするも、ただただ謝ってくるばかりだ。ただひたすらに謝ってくるので、余計に苛立ってくる。

「ちゃんと説明しなさ」
「ゴメンな! 忙しいから、じゃあな!」

 逃げるようにこの場から立ち去る勇儀。私の言葉を遮ってまで急ぐ用事とは何なのか、と聞きたくてもすでに彼女はいない。
 ……と、このようなことが何度も何度も続いた。ある日は。

「今回も、ゴメン」
「何でよ! 前も断ったじゃない!」

 またある日は。

「用事があって忙しいんだ。またな」
「約束すらしてくれないなんて! 妬ましいわね!」

 そしてまたある日も。

「今は無理なんだ! 頼む!」
「何なのよ……いったい……」

 私と一緒に過ごす時間を拒絶してくる。ひたすら断られる。

『今日も』
『ゴメンな』
『無理』
『忙しい』
『また今度』
『次回こそ』
『パルスィ、許してくれ』

 毎回、こんな言葉を並べられて。私が怒ろうとしても逃げられる。むしろ私が何かしたのだろうか。怒らせるようなことをしたのだろうか。不安になってきてしまう。
 ひょっとして勇儀を怒らせちゃったのかな……?

「謝ったほうがいいのかな……」

 心が締め付けられてくる。だってこんなに避けられる理由がわからない。勇儀の琴線に触れてしまったのだろうか。だが、避けられて逃げられてしまう私に謝るチャンスはない。
 なら、チャンスを掴めばいいんだ。
 そう思いついた私は、いつものように勇儀とデートする約束を取り付けようとする。だが案の定。

「どうしても外せない用事があって。今日は無理だ! ごめんな!」

 何が今日は、だ。今日も、だろう。それに私より優先する用事とは何なのか。
 断られてしまう。そして走るように逃げる。だが、いつもとは違う。計算通りである。
 勇儀の姿を見失わないように追う。追いかける。旧地獄街道を道なりに進んで、ずっと追いかけているとなじみの場所に着く。
 私と勇儀が初めて出会った思い出の橋。

「あれは、え、何で」

 思わず言葉を失ってしまう。素敵な思い出が詰まった場所で、最悪の思い出が上書きされる。

「萃香、いつもありがとうな」
「ううん。昔からの付き合いだもん。気にしないでいいよ」

 勇儀はもう一人の鬼――確か名前は伊吹萃香だったと思う――と密会していたのだ。地上と地底は互いに介入してはいけないルールがあったはず。それを犯してまで、何で勇儀に会いに来ているの? 危険なことなのに何故?

「あの金髪緑髪の娘……何だっけ、パルスィだっけ? あの娘とは最近どう?」
「ん、まぁ、それは……な」

 二人はどこかへと消えていく。橋の向こうの暗がりへ。それを見つめて、呆然と立ち尽くすことしかできない。
 どうして言葉を濁すの? 何で? 私よりも萃香を選んだの? 私は? どうして?

「裏切ったの……? 私よりあの小鬼を優先したの……?」

 やるせない怒りと憂いが、嫉妬心が渦巻いてくる。もともと他者を信じることが怖かった。だけど、勇儀なら私を受け入れてくれると思ってた。でも、違った。
 それに気がついたら、忘れていた嫉妬の感情が一気に膨れあがった。淡い恋心が嫉妬で染まった。
 それから私は悪夢を見るようになった。あの悪夢は本当に夢なのか。現実と変わらないじゃないか。
 しかも勇儀は何度も何度も萃香に会っていた。私にはバレてないつもりでひた隠しにする。
 何度も。
 何度も何度も何度も。
 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
 密会。
 密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会。
 私に黙って密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会密会。
 許せない。
 許せない。萃香が許せない。勇儀が許せない。許せない私が許せない。
 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない死ね許せない許せない許せない死ね死ね死ね許せない許せない許せない許せない死ね死ね死ね許せない死ね死ね許せない許せない許せない。
 嗚呼、気が狂いそう。死ね。
 死ね。
 そして決定的なシーンを目撃することになる。

「長い間探したけど、やっと決まったよ。これで良さそうだな。私はこういうのがわからないから、お前に頼んでよかったよ、萃香」
「頼まれたって言うか、アドバイスしただけだけどね〜。ま、最終的に選んだのは勇儀だからいいんじゃない?」

 二人は一緒に買い物していた。二人で仲良くしていることがただ恨めしい。
 ここで私が出て行けば何か波乱があるのかもしれない。だけど、そんな勇気すら持っていない。私は日陰者だから。
 指を咥えて様子を観察するしかなかった。
 何気なく何のお店なのか確認してみる。ここで帰ってればよかったのかもしれない。最初から好きにならなければよかったのかもしれない。
 勇儀と萃香が訪れていた店、それは指輪屋だった。地底では評判の指輪屋。

「ほら、どうだこの指輪。綺麗だろう?」
「ん、勇儀がそれでいいならいいよ。素敵だね」

 勇儀が手に持った指輪。それは大きな緑色の宝石が付いた綺麗な指輪だった。私への当てつけのつもりだろうか。
 いや、そもそも何で指輪など買うのか。私から逃げてまで。萃香と一緒に。

「ちょっとつけさせてよ?」

 おどけながら萃香は自分の左手の薬指に指輪をはめる。サイズはあまりあってないらしく、付け根まで指輪が落ちてしまう。

「ば、馬鹿。よせよ」

 勇儀はあわてて萃香がつけた宝石の指輪を返してもらおうとするがちょこまかと逃げ回っている。仲良くするな、離れろ。
 いや、待て。
 薬指に指輪? それってつまり。

「婚約指輪……?」

 左手の薬指に指輪。その意味は婚約や結婚だということ。
 つまり。
 つまりそれって……結婚。
 あとはどんな馬鹿でもわかる。全部終わった。私は何をしてたんだろう。恋なんて気持ち悪い。気持ち悪い。私は、馬鹿か。

「何で! 何でなのよ! 私を見捨てて! 何で!」

 怒ることすら空元気。だって、いくら怒ってもどうしようもないじゃないか。反則だ。婚約なんかされたら反則、ゲームセット。だってそれって人生のゴールじゃないの?
 もう、終われ。

「ああああぁああぁああぁッッ!」

 絶叫する。
 あの二人に聞こえるように、憎々しげに、恨めしげに。こんな茶番、終わってしまえばいい。茶番は私。私よ、終われ。
 もちろん萃香と勇儀は私に気がつく。勇儀なんか青ざめて私を見てる。そんな見せかけのパフォーマンスなんか信じられない。
 恋が終わったことが苦しい。愛が終わったことが苦しい。
 だけど何より――裏切られて嫉妬されたことが、苦しい。

「パルスィっ!」

 勇儀が私を呼ぶ。だから私は愛を込めて返事をする。

「死ねっ! 死ねよっ! 死んじまえっ! クソ鬼っ! 私を見てくれないのなら必要ないっ! 好きなのにっ! こんなに、こんなに愛してるのにっ! 私を惑わせて何が楽しいのよっ!」

 このように。最悪のカタチで終わらせてやる。何かもう、色々。
 死ね。

「ああ耐えられない」

 いたたまれなくなった私はこの場から逃げる。いつも私から逃げた勇儀のように。

「待てよ! おい、違うんだ! 待て!」

 終わったというのにまだ私を追ってくるのか。
 脇目もふらずに旧地獄街道を駆け抜ける。追いつかれないように。必死で。必死に。
 気がつくと橋の上。私と勇儀の思い出の場所。前までは一番好きな場所。今では一番嫌いな場所になってしまった。
 橋の中心。端に私は立つ。下は漆黒。深い深い川になっている。落ちたら文字通り死ぬだろう。いくら妖怪だからって溺れ死ぬ、深く冷たく厳しい川。

「パルスィ、聞いてくれ!」

 追ってきた勇儀が橋の上で立ち止まる。私の顔色を伺いながら、訴えかけてくる。

「あれはお前へのプレゼントで」
「嘘ね」

 即答する。嘘だ。

「私は……センスがないから。一生物の宝だから、昔からの親友だった萃香に相談したんだ」
「嘘」

 嘘ばっかり。言い訳。黙れ、嘘付き。

「あ〜 もうっ! お前の気持ちに気がついてたんだよ! でも、どう返事をすればいいのかわからなくて! 恋愛とかわからないから! おかしいことだってわかって るけど、私もお前が好きだ! だから婚約指輪を買ったんだ! カタチとして残るように! パルスィ、私と結婚し「嘘嘘嘘死ね嘘付き嘘嘘嘘嘘嘘付き死ね死ね 裏切り者死ねよ裏切り者死ね死ね死ね私を壊したのはお前裏切った裏切った嘘付き死ね死ね嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘詭弁嘘
嘘くたばれそして死ね」

 もう何も聞きたくない。
 当然だが、勇儀は死んでくれない。どうすればいい。
 ゾクリ、と私の嫉妬心が冷たくなるのを感じた。どうすればいい。
 ――なら、こうすればいいじゃない。

「私は死ぬ。さよなら」

 自殺。
 なら、こうすればいい。
 橋から身を乗り出し、簡単に宙を飛ぶ。何だ、死ぬのって案外簡単であっけないものじゃない。一歩踏み出す勇気だけが怖いだけで。このままだと、私は死ぬだろう。
 だけど、そうはさせてくれない。悔しいけれど。

「やめろ! 私はお前に嫌われてもいいけど、失いたくはない……っ!」

 全身が空中に放り投げられた状態の私の手を、鬼特有の力強さで掴む勇儀。
 そう、それでいい。これが私と貴女の結末。

「捕まえたぁ」

 掴まれた腕を、ギュッと握り返す私。もう二度と離さない。

「私を……信じてくれ……」

 泣きそうになりながら私の身体を橋の上に運ぶ勇儀。
 馬鹿ね。もうイヤだ。

「私は私しか信じない。もう、自分しか信じられない。そんな私に誰がした? 勇儀、貴女よ。でも私は貴女が好き。でも殺したい。もう何をどうすればいいのかわからない。嫉妬って、愛ってそういうものだから。だから――――」

 もういい。
 バッドエンドが最高のハッピーエンドだと言い張る覚悟は出来た。歪んだ関係だからこそ信じることが出来る。全部が全部、狂ってしまえばいいのよ。
 自分勝手な私の、姫のように傲慢な終焉。
 なら、こうすればいい。



 ★★★★★★★★★★★★★★★



「今日は夢にまで見た結婚式」

 ほとんど真っ暗闇の部屋。もちろん私の自宅である。上からぶら下がったシャンデリアが今日という素敵な記念日の演出をこなしていると思う。
 目の前の花嫁の長髪を優しく撫でる。ウェディングドレスに身を包んだ私の大事な大事な《私》の綺麗な髪の毛。

「ふふ。《パルスィ》。とっても綺麗ね……」
「パルスィ……やめてくれよ……」

 ひねくれてねじくれて歪んだ愛のカタチ。
私は、もう私しか信じられない。だから勇儀、あなたは《私》になればいいの。《パルスィ》として私と過ごせばいいの。そうすれば誰も裏切らない。私は私しか……《私》しか信じないから。
 きっと。

「こんなこと、馬鹿げてるじゃないか……」



 どうしようもないくらい救われない話。だけど、それで救われる人もいる。少数だが。私は少数側だ。私以外が救われなくても、私は救われる。そして目の前の《私》も私だから救われるだろう。
 きっと。
 ねぇ、幸せ?

「《パルスィ》とずっと一緒にいてあげる。私は裏切ったりしない。勇儀みたいにはね」
「目を覚ましてくれ……間違ってるだろう……?」

 覚ますのはお前だ。《パルスィ》はまだ希望にすがってるのだろうか? 一度割れたコップは二度と元には戻らない。
 私は《パルスィ》が従順になる魔法を知っている。一言だけでいい。本心を口にすればいい。このように。

「――それ以上言ったら……死ぬわよ、私」

 机に置いてあるナイフを喉元にあてがう。《パルスィ》が恐れるのは私の死。もう、死んでも構わないと思ってる私と《パルスィ》の違う点。
 どんなに力を持っている鬼という種族だとしても、壊れてしまった私の心は治せない。でも、それでいい。こうして二人は一緒に暮らせるのだから。
 めでたし、めでたし。

「パルスィ……」

 ……優しすぎるのよ、勇儀は。最初から裏切らなければよかったのに。
 お互いがもっと素直になれたら本当の恋愛が楽しめたはずなのに。私が狂わなければよかったのに。何を悔やんでも手遅れ。
 依存。こうすることでしか私は愛を表現出来ない。嫉妬しか知らない私だから。憐れな肉人形。
 これが私と《パルスィ》の現実。

「《パルスィ》。その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

 だが《パルスィ》はうつむいたまま無言だ。

「ふふ、私は誓わないわ。だって誓いなんて信じられないから」

 今日は私の結婚式。
 祝福のプーケが風に揺れる。
 私の嫉妬心が風に揺れる。
 本当の悪夢は、前に見た悪夢よりも幸せだ。



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