【月時計でつかまえて】サンプル





 たとえば、時間が有限なものだとして。
 たとえば、時間を自分の好きな様に操れるとして。
 たとえば、現在(いま)の時間を使うことが、未来(さき)の時間を削る行為だとすれば。


 きっと、長くは生きられないだろうし。
 きっと、後になって後悔することになるだろうし。
 きっと、その時になってまた泣き始めるのだろう。


 それでも誘いましょう。


 満月の向こう側にある、私の世界へ。



     XXX



 どしゃ降りの雨が好きだ。
 匂いが好き。普段空に舞う土煙が頭を垂れて這いつくばっていく雨の匂いが好き。
 音が好き。誰も彼も構わず襲って身の程知らずにも歓喜の雄叫びをあげる雨音が好き。
 雲が好き。ずっとそこに居たいのだろうに風に流されて去っていく雨雲が好き。
 それを言うとお嬢様は苦い顔をするのだが、私は誰が何と言おうと雨が好きだ。もちろん「お嬢様が一番ですよ」というフォローも忘れない。
 吸血鬼は流れる水が嫌いだと言うけれど、私にはそれが心地良い。何もかもを洗い流してくれる気がする。
 何かの臭いも、何かの汚れも、何かの罪も。
「泣いているの?」
 愛しい人がそう問いかけた。そう聞かれた時にも、私の答えはいつだって決まっている。
「いいえ」
 一言だけ添えてみる。
「あの頃とはもう、違いますから」



 お嬢様に拾われてから、いったいどれだけの歳月が過ぎただろうか。
 両手には満たないが、片手では足りない。それだけの人生を私は――十六夜咲夜はレミリアお嬢様に捧げてきた。
 当時幼かった私の肢体は成熟した女性の物へと成長し、人間としても従者としても進化してきた。
 といっても、それは人間としては当たり前の話だ。人間の寿命は長くとも百年。肉体的なピークは三十を過ぎるより前だ。成長期を迎えていた私の容姿が変貌するのは何ら不自然なことではない。
 だが、この場所ではその自然が不自然とも言えるだろう。
 ここにいる住民は、私を除いて誰一人として成長することを知らないのだから。
 片や五百年もの時を過ぎた吸血鬼の姉妹。片や百年以上も魔法使いであり続ける生粋の魔女。私の配下である妖精メイドたちも、皆幼い姿をしていながら私より遥かに長く生きているはずだ。
 悪魔に妖精に魔法使い。魑魅魍魎の類の中、ただ一人の人間がこの私だ。
 何故人間がこんな所に? 誰かはそう思うかもしれない。そんな誰かに、私はこう言ってやるのだ。
 だって、彼女がそれを求めたのだから。


       XXX


 気がつけば、雨は止んでいた。
 化け物の血の臭いは失せて、しっとりとした雨の匂いが大気に充満していた。妖怪の躯を除けば、戦いの後を思わせるものは何一つとしてない。
 まあ、こいつだってお嬢様に殺されに来たのだから、私に殺されたって文句は言えないだろう。
 そんな分かるような分からないような慰めの言葉を思い浮かべつつ、妖怪の死体を森の奥へこっそりと、出来るだけ虫や動物に分解されやすい場所を選んで捨て置いた。
 ここ、紅魔館には時折こわーい妖怪が殴りこみにやってきたりする。
 力比べのつもりなのか倒し犯したいだけなのか。真意の程は定かではないが、五百年の時を生きる最強の吸血鬼レミリア・スカーレット様の噂を耳にした妖怪が長ったらしい口上と共に紅魔館の門を叩く。
 最近は博麗とやらが出しゃばっているらしく、おかげでそういった手合いも少ないが、それでも時代遅れな奴もいる。
 その連中の相手をするのが、主に私だ。
 つまり「お嬢様と戦いたくばこの私を倒してからいけ!」というやつだ。大抵の奴は人間である私をなめてかかって来た結果、私の術に対処できないまま一分もかからずに終わる。そもそも、フラン様とも(手加減してとはいえ)渡り合った私に勝てる相手なんてほとんどいるはずがない。
 その点、今回の妖怪はあまりに呆気なかった。図体がでかいわりに目を切り裂いたらすぐに自滅した。戦闘と呼べるかすら定かではない。
 そんな妖怪らと死合わせて。これで通算四十九戦目。次で記念すべき五十戦目となるのだが、果たして次も満足できる敵に出会えるかどうか。
「強くなりすぎてしまった自分が怖い……」
「何一人で変なこと言ってるの、咲夜?」
 ビクゥ! と全力で後ろを振り向くと、そこには怪訝な面持ちをしたレミリアお嬢様の姿があった。
 昼間だというのに何故こんな所に……という動揺もあったが、それよりもさっきの恥ずかしい独り言を誤魔化さなくてはなるまい。
「い、いえっ! その……パチュリー様の真似を」
「パチェ? 確かにパチェだったら暗い密室で一人そんなこと呟いててもおかしくないかもね」
 お嬢様は納得したような面持ちで図書館のある方を向いた。パチュリー様が無駄に影響されやすい性質なことに感謝しよう。
「そんなことより、お茶にしましょう? もう片付けは終わったんでしょ?」
 お嬢様はそれにはたいした興味も抱かなかったようで、スカートをふわりとはためかせながら館の方へ向かって歩いていく。その姿を追って一歩後ろを着いていくと、お嬢様は不満そうな顔で。
「……そんなに後ろだと、陽が当たっちゃうでしょ? 早く隣に来て傘を差しなさい」
 ああ、と。冷めた心が温かくなって。
 私はそんな彼女の姿に苦笑しながら、私は空間の中から傘を取り出して、満面の笑みを浮かべながら。
「かしこまりました、お嬢様」



 お嬢様はあまり陽の出ていない時にはよくベランダに出て紅茶を飲みたがる。
 陽の出ていない時、といってもどうやら周辺の天気はパチュリー様が魔法で関与できるようなので、結局はお嬢様の気が向いた時ということになるのだが。ともあれそういう時には私が隣で紅茶を淹れて差し上げることになる。
 お嬢様がベランダの椅子に腰掛けてから一秒足らず。その間に私はお得意の時間操作でティーセットを用意した。
「流石ね咲夜。私が今日クッキーを食べたいってことまでお見通しだなんて」
「勿論ですとも」
 それしか買い置きが無かったのは内緒だ。
 時計の秒針を眺めているかのようにゆっくりとした時間が漂っていた。
 雨上がりの空は太陽だけが雲に隠れ、春の始まりを思わせる暖かな温もりが降り注いでいる。
「いつもと紅茶が違うわね、何か入ってるの?」
「はい。これはロシアンティーといって、外の世界の日本という国でよく飲まれている紅茶の飲み方のようです」
「ふーん……なかなか面白いわね。そういう紅茶があったらまた淹れてきてね」
 お嬢様は満足げな表情で新しい紅茶に舌鼓を打っていた。なるほど、変わった嗜好の紅茶がお好きなのか……とお嬢様への勉強も欠かさない。
 ぼんやりと、うつろな風が流れている。
 これからもこんな日々が続いていくのだろう。
 何も変わらないまま、何一つ変わらないまま。
 面白い紅茶というのだったら今度はしょうがでも入れてみようかしら、なんて思いながら。何も変わらないのだったらいつまで私はこうしていられるのだろうか、なんて考えは端に追いやりながら。
 静かに風は流れ続ける。
 その春風が、新しい声を運んで来た時。



「たのもー!」



 私は、何を思ったのだろうか。
 少なくとも次の瞬間には、ああまた面倒くさい事になるのか、とお嬢様とのせっかくの時間をぶち壊しにされた事に苛立ちを感じたはずだ。
「……何、かしらね」
 お嬢様は椅子から立ち上がりベランダから身を乗り出すようにして声のする方を見下ろした。
 私もそれに従って見下ろしてみる。するとそこには橙色の長い髪をした高身長の女がいた。
 いや、妖怪か。人型だけど臭いで分かる。
 彼女も私たちの存在に気づいたのか、しかしまるで友達を見つけたかの如く陽気に手を振って言葉を続けた。
「私は、紅美鈴といいます! このお屋敷に住まわれる吸血鬼と試合たく訪ねて参りましたぁ!」
 彼女はなんとも気の抜けたような声でそう呼びかけた。
 すぐにでも刺突してしまった方が彼女のためなのではないかとも思ったが、案外お嬢様は乗り気で彼女に向けて威勢よく挑発した。
「私がその吸血鬼、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットだ。だが生憎全員の相手をしていられるほど暇じゃないのでな。そこで、うちで飼ってるメイドに勝てたら勝負してやろうじゃないか」
 か、飼ってるって……それって私がお嬢様のペットってことですかぁ? やぁん、咲夜ハズカチー!
 と、本来ならクネクネしておきたいところだが、生憎客人の手前なのでぽっと頬を赤らめる程度に抑えておく。
「わかりました。それでメイドというのは……」
 その声と共に、私はベランダから飛び降りた。
 颯爽と彼女の目の前に着地し、対面する。
 実際に対峙してみると、身長はあまり私と大差が無い。身体つきのバランスが良く武器らしい物も所持していない所を見ると、お嬢様と同じく身体能力によって戦うタイプだろう。
「人間、ですか……?」
 しかし一方で、彼女は明らかに困惑と、不服の声を漏らしていた。
「そう。……咲夜は強いよ?」
 お嬢様は彼女の言葉も含めて楽しそうに上空から言った。
 私はナイフを構え、彼女と対峙した。たとえ人間だからという理由で甘く見られようと、私のすることは一つしかない。お嬢様の見てる前で無様な真似も見せられないので、さっさと――
 紅美鈴が、人差し指を立てた。
 初めそれが何を表すのか分からなかったが、彼女が言葉を紡いだ時、
「一秒で終わらせます」
 殺意が芽生えた。
 ああそうかい、そこまで舐められてるんだったら仕方ない。
「でしたら私は、一秒も経たずに殺してご覧いただきますわ」
 さっさと殺る。
 時を止めた。時間の経過は無く、動きは無くなり、私だけの世界になる。風は凪ぐのを止め紅茶に落とされたジャムは混ざり合うのをやめる。
 その中で私は駆ける。誰もいない世界で私だけが動ける。私だけが彼女の首を刈れる。容赦はいらない。こいつが私を侮ったのだから。
 背後に回りこみ鈍く光る銀のナイフを強く握る。祈るようにしてその首筋に刃を目が合った。
 目が合った?
 ナイフの勢いはそのままに、いなし身体を引き寄せられていた。
 彼女の背が私の身体に密着していた。彼女の脚が地を踏み鳴らしていた。彼女の呼吸が私を――



 気がつけば、私は地面に横たわっていた。
 何が起こったのか分からない。だが呼吸がおかしい。身体が痛い。血液が上手く循環出来てないような気がして、身を起こすどころか指一つ思い通りに動かせない。
 視界に靄(もや)がかかったようだ、と思い始めた頃にようやくはっきりと目が見えてきた。焦点は定まらないが誰がいるかは何とか分かった。
「いいだろう」
 聞きなれたはずのお嬢様の声は、いつもより冷たく、遠くに感じられた。
「三日後の満月の夜、お前の挑戦を受け入れよう。それまではこちらで部屋を貸し与えるから、そこを自由に使ってくれてかまわない。……異論はあるかしら?」
「いえ! 滅相もありません。本気のあなたと戦ってみたいですから」
 彼女もむしろ申し出を受け入れられたことの方が嬉しいらしく、私のことなんて眼中にも写っていなかった。
「それじゃ、あそこにいる妖精のメイドに案内させるからついて行ってくれ。こちらも一段落ついたら改めて挨拶に伺う」
「あっと……分かりました。それではまた」
 何やら後ろ髪ひかれるような素振りではあったが、彼女は妖精メイドと一緒にこの場を去った。
 後に残されたのは、私とお嬢様の二人だけ。
 気づけば陽は既に西へ傾いており、小春日和の陽気さはどこへやら肌寒い冬の夜の風が吹き始めていた。
 すぐ傍にお嬢様がやって来た。お嬢様は何も言わずにこちらを見下ろし立ち尽くしている。
 やがて、思い出したかのように言葉を紡ぐ。
「大丈夫?」
 だいじょうぶです、そう答えようとしたが、未だ息が上手く吐き出せずに咳だけが零れ出た。自分で思ってる以上に身体が参っているらしい。
 お嬢様はそっと、湖畔から水を一かき掬い上げるように優しく私の体を抱き上げてくれた。自分よりも遥かに小さい体躯でありながら、人間では遥かに及びつかないほどの力を持った吸血鬼の少女。
「心配しなくてもいいよ」
 そんな彼女が慰めるように告げた一言を耳にして。
「咲夜には、そこまで期待してないから」
 私は、自分が負けたのだという事実をようやく受け入れることが出来た。



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